アンナチュラルないながきつかさ

千年女優のアンナチュラルないながきつかさのネタバレレビュー・内容・結末

千年女優(2001年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます


「思い出の中のあの人はあの人のまま、あの人の中の私は思い出のまま」




今敏監督作品 2作目

今敏と平沢進の初タッグ作品でもある今作は、
「千と千尋の神隠し」と同年の2001年日本アニメ映画。
第5回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞を同時受賞することとなる。




今敏監督は常に様々な虚構をテーマに作品が成っている。
今回のテーマは
「ずっと夢(あの人/幻想)を追いかけることの美しさ」
であると考える。


劇中で語られる「満月の一日前 十四夜の月」というのもそのメタファーとして登場する。
近しい例で挙げると、ハンター×ハンターでジンが「道中を楽しむ」と言うのもイコールではないが今回のテーマに近いものがある。
「目標に到達(完成)したものの美しさではなく、目標に向かっていくその過程(未完成/自分)そのものが美しい。」
そういったテーマであると僕は理解している。


また、文頭の「思い出の中のあの人はあの人のまま、あの人の中の私は思い出のまま」。
これは劇中に出てくる言葉ではない。
千代子の選択を言葉に書き起こしたものである。
彼女は年老いた自分を、生涯追い続けたあの人に見られるのを拒んだ。それは逆説的に自分の中の"あの人"の思い出を上塗りせずに綺麗な思い出として保存するためともいえる。
これ自体も、今作のテーマの一つの選択/結論になると僕は考える。




早朝に地震があり、立花社長が訪問。
地震のことを「てっきりお迎えが来たのかと思いました」と笑い、千代子と共に思い出を振り返っていく。
振り返っている最中、再び二度の地震。
結果的に同日中3回地震があり、最後の地震の後が千代子の最期となってしまう訳だが、この地震がどういった意味を持つのか、正直よくわからなかった。
地震自体が千代子自身や千代子の心情と重なっているのか、はたまた老婆(=自分?)の呪いか。
又は突飛なことだが、関東大震災とともに生を受けた千代子は、あの世界の中心だった。若しくはあの世界自体が千代子の心象風景/内面世界の話だったか、等。
いずれにせよ作品に対する気持ちは変わらないが、もし他にも考えられるものがあれば教えていただきたい。




千代子の最後の一言は、ユリイカ/おまけの夜 曰く今敏監督の本来言いたかったことではないようで。
今となっては確認のしようがないが、「あの人を追いかけている私が好き」ではなく、僕は「あの人を追いつづける人生で私は幸せだった」と言いたかったのではと思う。
近しいが明らかに違う。本来のセリフもそういったものだったのではないか、と考えては想いを馳せている。




わずか87分の本編に対し、様々な要素で語れることが多い作品。
一言で表せないテーマ性や、中毒性の高い平沢進の音楽の魅力、今敏お馴染みの入れ子構造によるメタ演出など、他のアニメ映画には全く属さない唯一無二の作品だからこそ、繰り返し観るリピーターが後を絶たない。


観るたびに違った味わいが楽しめる、何年経っても色褪せない作品を残した今敏監督自身は、
最早「千年女優」ならぬ「千年監督」なのだと私は断言する。
何故なら、かくいう私もそのリピーターの一人なのだから。