冒頭のおもちゃみたいなスプラッター描写の詮無さにも驚いたし、鉄甲冑のガチャガチャいう音が映画中ほとんどを占めていて、シネマトグラフというアイデアを煎じ詰めようとすると結果こんなにもミニマルかつラジカルにならざるをえないんだという「覚悟」にあてられた。
何かを貫くということは、その何かが排出する文脈性を完全に超えたとき初めてきっと崇高になりえるんだなあ。
これはどうも音楽における本来のミニマリズムのあり方にも通じる理路だと思った。
「貫き」は、その貫いた先の受容のされ方に気を取られているうちは貫徹されない。