Foufou

湖のランスロのFoufouのレビュー・感想・評価

湖のランスロ(1974年製作の映画)
5.0
アーサー王伝説のなかでも、いわゆるブルターニュもの、円卓の騎士たちと聖杯をめぐる物語の後日談を扱っている。中世ヨーロッパに成立する文学は、クレチアン・ド・トロワにしろヴィヨンにしろ、直截的でなんとも禍々しい。円卓の騎士といえば、ランスロのほか、『トリスタンとイゾルデ』のトリスタンも有名。流布本が数多く存在し、ヨーロッパ的感性に多大なる影響を与えている。ちなみにアーサー王伝説に代表される騎士道物語のパロディとして登場するのが、セルバンテスの『ドン・キホーテ』。

中世ヨーロッパの重厚でおどろおどろしい空気をよく伝えている。カール・ドライヤーの『裁かるるジャンヌ』と地続きの世界観(ただしあちらはファナティック)。いっぽう本作はカラー作品。息を呑む美しさ。ランスロと王妃グニエーブルの道ならぬ恋(今でいう不倫ですね)と騎士道精神との葛藤、そして同じ円卓の騎士モルドレッドの嫉妬と野心と、これに対抗するランスロの忠誠心のあり方について、現代的な解釈を加えながら、抑制された演出で丁寧に描き切った、まずは本格歴史映画である。

ちなみにフランス人にとってのfidélité とは、忠誠心と聞いて我々の抱く意味とはかなり異なる。武士の忠誠は、たとえば主君の死に殉じて切腹する行為に現れるが、フランス人のそれは、たとえばランスロでいえば神に対しても、不義の恋人に対しても、その恋人の夫である王に対しても等価なものとして現れる。ここにブレッソンは現代的な解釈を加えている。王妃の心のあの変節ぶりを見よ!

いやはや、こんなすごい映画、ちょっと、ありません。

自然主義に徹するという評もあるようだが、たとえば森の奥の納屋で密通を繰り返すランスロと王妃のシーンで、窓際でいつも鳴く胸の黄色い一羽のカケスの存在は、極めて霊的である。あるいは時ならぬ驟雨だったり、雲に隠れる満月だったり、森やそこに住む住人だったり、ヨーロッパらしく、禍々しさを常に孕んで予言的である(住人のひとりはじっさい預言者として振る舞う)。そのように映画は自然をとらえていく。そして、男たちは殺し合い、赤い血が噴き上がる、あるいは滝のように滴り落ちる。物語としてまずは戦慄ものなのである。

そして特筆すべきは、表象芸術たる映画の、その表象のあり方の、ブレッソンにおける過剰さである。

『やさしい女』のたとえば肩掛けがそうであったように、物語の線から横溢するようにして、表象たちが何をかを語り出す、その官能的体験に観る者は打ち震えるのである。スクリーンの上で、未知の何かが繰り広げられているという、この目眩にも似た感覚。

言わずもがな、本作では甲冑である。冒頭、森の深い緑のなかを、騎馬の群れが何度となく画面左から右へ駆け抜けていく。その合間合間のカットで、男たちは首を刎ねられ、腹を刺され、頭を割られ、血飛沫が上がる。騎馬の駆け抜けるカットで、鞍の上に鎮座する騎士たちの身につける甲冑の放つ、なんとも言いようのない艶かしい金属光沢にまずは目を奪われる。それから金属と金属がかちあう音。もう冒頭から、この物語のもうひとつの主役が高らかに名乗りを上げているのである。

そう、本作は紛う方なきフェティシズム映画なのである。『ドライブ・マイ・カー』や『チタン』で自動車に寄せるフェティシズムを期待しながら、いささか肩透かしを食らった小生が、映画全編に溢れる甲冑への眼差しに興奮させられている。どこもかしこも甲冑だらけ。甲冑に魅せられた作り手が、同じく甲冑に魅せられつつある観客に、これでもかと甲冑を堪能させてくれる。金属の美しさ。固さ、重さ(鎖帷子と合わせれば総重量40キロ)、光沢、翻ってそれを纏う生身の弱さ、儚さ。甲冑がどのように身につけられて、どのように外されるのかまでつぶさに見せてくれる。あるいは踵の拍車がどのように馬の腹に食い込むか、首から上のマスクがどのように開閉するかまで、その可動域を余すところなく丹念に見せてくれる。そんな映画、ちょっと観たことがない。

甲冑の脚の部分、これ、腿の裏とひかがみとふくらはぎとがベルトで渡されて剥き出しなんですね。で、男たちは水色やら橙色やら黄色やらのスパッツを履いている。死と隣り合わせの美丈夫の男たちのスパッツ姿が、金属との対照と相まって、これまた異様な官能をもたらしている。

カメラが対象に淫するとは、かくあるべきでしょう。

もちろん甲冑だけではない。薄い麻布?でできたテントで各騎士たちは寝泊まりするようなのだが、テントそのものが、ブレッソンにかかれば、これ以上ない映画的小道具として撮られてしまう。夜のテントのなかで灯る手提げランタンの、布ごしに透けて見えるあの美しさ! あるいは時ならぬ風に煽られて、テントを地面に固定する杭を慌てて打ち始める男たちの禍々しいシルエット! 撮られる被写体の質感がさまで迫ってくる映画を寡聞にして知らない。

甲冑を身につけて、正面から馬で駆けてくる敵を槍で突く、というのが中世の競技にありますでしょう。あのときに使われる長い槍、あれ、木製なんですね。これをランスロたちがナイフで削って微調整するなんてシーンまで撮っている。

槍つきの試合のシーンに至っては! こう撮るの? とちょっと腰を抜かします。セリフがほとんどないシークエンスが延々と続きます。すげーな……とちょっと言葉になりません。クロサワやフォードが馬を撮る名人なんてよく顕揚されますが、いやいやブレッソンも負けていません。てか、独壇場。

というわけで、映画を観ることの感動にもまた色々あることを知った、恐るべき映画でした。映画は所詮は消費物、などと嘯いたことを後悔したくなるような、大変な作品です。

映画館にて戦慄すべし。
Foufou

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