10回くらいは観ている気がするがあらためて記録。
ナウシカの頃とメッセージは一貫して変わっていない宮崎監督。むしろナウシカで描ききれなかった部分も詰め込んでいて濃い分、説明がなくて寓意的に想像、考察で補うしかない。
人間第一主義のエボシ(まるでアメリカ第一主義のトランプのようというのは気の毒なたとえか)は弱い者、助けを必要とする者を助けずにはいられない、人間という立場からすると英雄的な人物。
秘密の場所(ハンセン病患者保護)を持っていたり、村人達から絶対的に慕われている点でナウシカと似ている。もちろん設定としてはクシャナにもよく似ている。
一方で超自然的な力を司るもののけと共に生きることを選んだサン。人間でありながら人間の敵と協力するが、純粋に仲間のために生きようとする。どちらにも完全に溶け込めない半端な自分の存在を疑問視していて、死を恐れないというかむしろ心のどこかで死を望んでいるような厭世的な部分もあるが、アシタカの言葉で生きることを選ぶ。人間からすれば異端である。世の中とは違う視点で自然に味方するという点でナウシカに似ている。
どちらの姫も正しく、けれど絶対に交わることがない。
互いの主張を受け入れられず憎しみ合う関係を繋ぐ存在がアシタカ。憎しみのとばっちりを受けて不幸を背負う若者(ナウシカのペジテ市のような)だが、恨みもせず、繰り返す復讐の連鎖を断つことを願うスーパー完璧超人。
因みにアシタカは人間らしさを感じず正直あまり好きなキャラクターではないが、サンに口移しで食事をもらい涙するシーンだけは弱さを見せていて安心する。
人間VS自然、神を殺すことによる報復は科学進歩に警鐘を鳴らし続ける宮崎節だが、自然の脅威にはただただ逃げ惑うしかない人間の様は東日本大震災をはじめとした大災害を彷彿とさせる。
地球のために自然保護と技術進歩のバランスを保とうよ、世界のために戦争はやめよう、巻き添えになる弱い者たちの憎しみの連鎖が続くだけだよと、満身創痍で訴えるアシタカは宮崎監督の理想を体現しているのかもしれない。
余談だがサンとカヤが同じ声なのは、キキとウルスラと同じく寓意だなあと思います。
それから、木霊は森の精だけど、胎児にも見える気がする。
命そのものだからそりゃあそうなのかもしれない。
木霊のかわいさで、赤ん坊と同じく、森の命も何より大切なのだと伝えているようです。
意外と観るたびに発見があって凄い。重厚だから観た後どっと疲れるけれど。
・脚本 8/10
・演技 7/10
・演出 7/10
・音楽 9/10
総合点 31/40