ようすけ

血槍富士のようすけのレビュー・感想・評価

血槍富士(1955年製作の映画)
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小十郎(の一行)が観客の視点に近い役割を果たし、同じ旅路を行く人々の人情に触れる中で、「侍の世界」に疑問を持ち、それ故に侍に殺される。権八がその敵討ちをし、捕まるのを覚悟するも「侍の世界」の見栄により無罪放免となり、同時に主人を守り切れなかった自責の念から、孤独に江戸への道を行くことになる、という何とも皮肉めいた世界観を強く感じた。東海道旅行記の要素が占める割合こそ多いものの、タイトルが『血槍富士』であること、そして上記のような展開から考えると、人情味あふれる世界が描きたかったのではなく、むしろ侍の世界や殺生に対するアイロニックな内田吐夢の考えがあったように推察された。劇中歌の『奴さん』も下郎の辛さを象徴しているようであったが、上級の武士への敵討ちがポジティブに描かれていないのもこれを表しているのではないだろうか。
細かいが、いくら酒癖の悪い人物でも名前が酒匂は酷いだろうと笑ってしまった。
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