この上↑に書かれた「あらすじ」をご一読ください。簡にして潔、物語を明瞭に説明している素晴らしいあらすじです。ストーリーも本当にこれにつきます。
しかしあらすじがいかにすぐれていても、あらすじをなぞっただけでは映画としてはつまらないものになってしまうでしょう。
この映画がよくできているのは、あらすじ文の中の「〜航空写真を持って帰ってきた。」という文と「なんと空母は〜」という文のあいだのリクツをしっかりと描いているからなんです。しかも映画のかなりの時間を使って。
謎の嵐を通過した空母。全く変わらない洋上。しかし何かがおかしい。その不可解な状況を主要登場人物が議論してゆく。リクツでその状況を考えてゆくんです。この過程がべらぼうに面白い。しかもマニアックに踏み込まず、押さえるところは押さえています。憶測が飛び交う中、マーティン・シーンが言う「もうひとつ可能性がある。それはこれが現実であるという可能性だ。」の一言はとても秀逸です。
そして、捕虜にした日本人や、保護した(1941年の)上院議員と秘書のエピソードをはさみ、いろいろな仮説が出尽くしたあと「不可解だが自分たちは1941年12月7日にいると考えざるをえない」という結論にたどりつきます。この過程が実にSFを感じさせるんです。
そしてこの結論を基に、次の行動を考えてゆく。おなじみの「親殺しのパラドックス」も語られてゆきます。
一方で、保護された上院議員側もこの不可解な状況に疑問をなげかけ、最終的にはこの空母の乗組員が文字通り異星人か未来人にしか見えない結論になってゆく。最後に上院議員の発する「君たちは何者だ。」という台詞もとてもスリリングです。
こういうリクツの積み重ねがあればこそ、現代のジェット戦闘機と零戦の空中戦もSF的リアリティを持ってくるのだと思います。
また、キャサリン・ロス演ずる上院議員秘書も1941年の上院議員秘書に見えてくる。
普通、このような場合、カーク・ダグラス演ずる現代の艦長は現代の艦長として認識できる。しかしタイムトラベル先の1941年の上院議員秘書は、「キャサリン・ロスが上院議員秘書を演じている」ようにしか見えないんですね。(※個人の感想です。)
しかしこの映画では1941年の上院議員秘書にみえてきます。リクツの積み重ねがしっかりできていたからです。
タイムスリップがあるからSFなのではありません。この項のあらすじ文中の「〜航空写真を持って帰ってきた。」と「なんと空母は〜」をつなぐリクツがSFなのですね。それを改めてわからせてくれる秀作でした。
追伸1
もうひとつ大事なことは、短いプロローグとエピローグを除いて舞台がほとんど空母、海の上なので、タイムスリップ先の街とか描かなくて済む。このこともリアリティ醸成に一役買っているでしょう。
追伸2
一見大味に見える映画なのですが、2回3回と観ると、周到に伏線が張られていることがわかります。それもマニアックなレベルに踏み込まず、しかも押さえるところは押さえているのが嬉しい。
追伸3
昔、ロードショー館で観たときは、そこまで感じなかったのですが、今回アマプラで観て、その面白さにハマりました。
「ターミネーター」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と並ぶタイムトラベルSFの傑作ですね。
「時をかける少女」は原作はSFですが、映画はファンタジー。どう違うかということを話したら収拾がつかなくなるので、次号につづく。
参考資料
「フィルムメーカーズ4 ジェームズ・キャメロン」キネマ旬報増刊 1998年8月17日号
キネマ旬報社
「SF映画の冒険」
石上三登志・著
新潮文庫
1986年 新潮社