kojo

スロベニアの娼婦のkojoのネタバレレビュー・内容・結末

スロベニアの娼婦(2009年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

11.2
身体を担保に自己実現をしたとき、身体以外にもたくさんの対価が必要で、それをある人は時間をかけて払っていくのだろう。身体と信用と、未来の様々な形と時間を失いつつも、実現した空の現実にこれから何を注いでいくのかをもっと見ていきたかった。
父や母やその周りの、これまでを生きてきている大人たちの姿から、決して明るくなく、むしろ苦しみを酒やタバコで紛らわすような日々が続くことになるであろうことへの怒りと、それの原因である田舎暮らし(実際はどこでもだが)への嫌悪感と、都会や新しい場所への逃避欲求と、若さ故の思い上がりなどなど、誰でもかなり共感できるだろうものが多かった。
その後の彼女の人生こそがその人にとって人生とは何かという答えになるだろうし、そこを観たかった気もする。観ている私が映画の影になったようなそんな映画だった。
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