デヒ

日本の夜と霧のデヒのレビュー・感想・評価

日本の夜と霧(1960年製作の映画)
3.8
50年代の初め、日本の学生運動は日本共産党の指導を受けていた。党の方針は無条件に正しいものであり、これに従うべきだったという。 中山と野沢は、共産党の権威を背にし、労働階級や運動精神のなんだかの抽象的な言葉を乱発し、批判を封じ込める。共産党の路線が変わるにつれ、彼らの主張も二転三転したが、指導部である彼らは、自分の闘争方針に疑問を示す人々を、党の路線を正しく理解できない弱い人だと非難したり、敵の肩を持つ変節者に追い込む。しかしこれと違って、現在21世紀には指導部の役割も重要だが、リーダー一人よりも万人の世論が重要視されている。自殺したタクミの言葉の中で「政治のメカニズムの中ではあれかどれかはよくないと思う」という言葉のように、21世紀にはsnsを通して様々な考えを受け入れられる環境が作られた。21世紀を生きる者としてこの映画を見た時、中山は独裁者のようで、映画を見る間ずっともどかしかった。
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