あんじょーら

ディフェンドー 闇の仕事人のあんじょーらのネタバレレビュー・内容・結末

4.4

このレビューはネタバレを含みます

昼間は道路作業員として働くものの、夜な夜なダウンタウンを徘徊している怪しげな男が警察に突き出されてきます、彼は自らを「ディフェンドー」(綴りの間違いからのネーミングと思われる、もしくは・・・多少の精神薄弱性を匂わせる演出とストーリィなので綴り間違えて覚えたのかも知れません)と名乗り、警察に勝手に協力しようとします。が、腕っ節が強いわけでもなく、とりえと言えるものさえない、コスチュームさえ黒ずくめのい服にヘルメットを被り、手作りといいますかただ銀色のテープを胸にDの字に張っただけという格好で、麻薬の売人に立ち向かっていきます。背中にはVHSの録画デッキを背負い、自らの行動を録画、なんとか正義に貢献しようとするディフェンドーことアーサー(ウディ・ハレルソン)・・・もちろん警察にさえ相手にされないで体よく追い出されるのですが、彼と係わった売春婦キャット(カット・デニングス)から麻薬密売組織を知り、その壊滅を願うアーサーの行動が、警察のおとり捜査に影響を与え・・・という展開です。



ストーリィもキャラクターも、そして演出もですが、素晴らしかったです。リアルな現実における警察や病院や社会との交わりまでもが描かれています。とても飲み込みやすく出来上がっているのに、作品のレベルが落ちないで、ご都合主義的展開も限局的に留められている、ということです。だからこそ、このキャラクターの、物語の終局が、胸打ちますし、「スーパー」のフランクの宗教的瞬間を必要とせず、「キック・アス」のような残虐性もギャグも低く、「グリーン・ホーネット」のような特殊な相棒がいなくとも、起伏があり、伏線を張り、社会との接点さえ見せつつ(それほど『閉じた世界=主人公や敵役などの映画内世界のご都合主義ではない』)、現実との地続き感のある世界の中での出来事のように受け取れるのだと思います。



アーサーの正義への欲求、というよりは、悪を憎む心の純粋さが、ほとばしりこそが原動力になっていて、そこを言葉で説明するのではなく、また警察の尋問でもなく、精神科医とのコミュニケーションで見せるのが素晴らしかったです。なるほど、アーサーの動機が明らかになればなるほど、彼を健常者だと思いたくなるのです、社会に出て生活させるべき、と思わせるのです。しかし、アーサーはただ存在しているだけでは満たされないのです。肉親を求めるアーサーの言動は根源的な欲求のように感じられるところまで作りこんでいるのが素晴らしいです。そして非常にチープな武器といいますか、武器ですらないモノを使っての攻撃、警察との関わり方など、ある意味リアルなんです、「銃を使うのは弱い者だ」というセリフも確かにそういうことを言いそうだし、武器で無い武器も使いそうなものばかりなんです。



アーサーを加護すべき人物との接点も説得力あり、しかも短い時間で分からせる非常に単純なシーンですが、このシーンが入っていることによってアーサーが社会との接点をかろうじて保っているのが分かりますし、アーサーとは異なる社会との接点の低いキャットをさらに差し込むことで物語が動き出すのも個人的には好感触でした。たしかにステレオタイプな演出やキャラクターではありますが、そこにリアルでストレートな部分を感じさせることで、この物語の場合はより良い効果を生んでいると思います。普段ステレオタイプなモノを嫌う私にも、この役柄やシュチエーションであるならば納得であり余計に骨太な表現に感じられました。この映画内世界に入り込めてしまった為かもしれませんが、この映画内世界に入り込めることこそ、映画を観る醍醐味であると思うのです。



麻薬密売の組織という(悪であって、悪の側からの見解や視点を挟まず、入れない)見せ方も一方的なんですが、そこに母親との乖離や悲劇というワンクッションを置くことで、アーサーの返って一般的な悪そのものに対する構えが際立った なんですが、そこに潜入捜査をしている人物が、アーサーの為に被害に遭い、結果、アーサーことディフェンドーの顛末も悲劇的です。しかし、アーサーの行動の余波ともいえるものが広がっていくところに非常に好感を持ちました。



そして見方によっては、演じている本人は全然笑ってないし真剣であるのに、観客にとっては可笑しい、というジャンルの笑える要素を含んでもいます。こういうコメディ結構好きなんですが、日本ではオーバーアクションな笑いが多いのであまり目にしないですね。



「正義」について考えて見たい方にオススメ致します。