ろくすそるす

野蛮人たちのろくすそるすのネタバレレビュー・内容・結末

野蛮人たち(1972年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

 フォースター原作を映画化したことで高名なジェームズ・アイヴォリーの『野蛮人たち』を観た。アイヴォリーにも、そもそも興味もなければ、フォースターの熱心な読者でもない私がこのマニアックな作品を鑑賞するきっかけとなったのは、アンディ・ウォーホル集団がこの映画の制作に関わっているらしいと聞いたからだ。ウォーホルと映画で言えば、実験映画『チェルシー・ガールズ』などの監督作、ポール・モリセイとの秀作『悪魔のはらわた』や、ドラキュラが非処女で痛い目見る『処女の生血』という大傑作ホラーに携わっているため、俄然期待は高まる。未開の地を開拓する気持ちで、わくわくしていざVHSにて鑑賞。結果、途中ありえないほど退屈な展開がだらだらと続くが、とんでもない異色作であることがわかった。
 始め、英国ヒューマン・ドラマ風のオープニングで幕開けしたと思えば、突如冒頭から奇妙なお面を被った原始人(たぶんマッドメンと呼ばれる原住民をモデルにしている)たちが森林の中で特殊な草でトリップするために、集っている場面に切り替わる。この時点でもうすでにカルトなのだが、野蛮人たちが他の種族の女性を捕らえたり、若い男を丸裸にして陰部丸出しのまま木に縛り付けたり、と蛮行を働いているところに、白い屋敷からクロケットのボールが飛んでくる。字幕テロップで、二つの世界がつながった、と出ると、ボールに誘われた野蛮人たちが現代の屋敷(なぜか無人で寂れている)に乱入し、そこに住みついてしまう。野蛮人たちは、屋敷の道具を使うことや服で身体を着飾ることを覚え始める。
 ここから、画面が急に切り替わり、驚くべきことに野蛮人たちは(恐らく)一瞬にしてブルジョワに成り代わってしまう。いつ言語を拾得したのだろう。そんなバカなと思うが、ブルジョワのエゴイズムの醜悪さを描くために急に飛躍してしまったのだ。
 当初、秩序だって見えたブルジョワたちだったが、所構わず情事を始める男女や気が狂ったのかプールで自殺を遂げる男(以後、ずっと底に沈んでいる)、脱毛の話を教授しながらプレイに及ぶレズビアン・カップル、呪術的な謎の行動など、はっきり言って何がなんだかわからない展開になる。そこに文明批評のようなテロップがつっこみを入れる。
 と、まさに熱力学の法則、エントロピーを体言しているかのようだ。野蛮→秩序→無秩序へ。このルートを通って結局また野蛮になる。そのシーンもぶっとんだものだった。野蛮人たちがクリケットを始める。皆銘々に自分のボールを滅茶苦茶に飛ばし放題。森にボールを転がして、ブルジョワたちは元の野蛮の生活へと帰ってゆく。なんだかなあ。
 総合的に言うと、ブニュエルになれなかった奇形の作品だと思った。
それにしても、こんな歪でぶっ飛んでる変な映画は、なかなかない(笑)