紅蓮亭血飛沫

スーパーマン4/最強の敵の紅蓮亭血飛沫のネタバレレビュー・内容・結末

スーパーマン4/最強の敵(1987年製作の映画)
1.1

このレビューはネタバレを含みます

クリストファー・リーヴ主演スーパーマン4部作最終作、ですが・・・。

冒頭、クラークが過ごした民家を誰かに譲るという話し合いから始まり、その後に保管していた、クリプトン星からの避難に使用した宇宙船に呼ばれたように、その場から緑色の結晶体を手にします。
一作目を見た方は早速疑問に感じるこの場面。
一作目でクラークがこの結晶体を目の当たりにし、そのメッセージに従うように北に向かってその果てに結晶体は放り投げられ、スーパーマンの新たな家が出来上がったはず。
あの結晶体は相当のパワーが含まれていますから、そのエネルギーで新居を作り上げた役目を終え、地下深くに眠っているはずですよね。
では何故クラークが祖父母と過ごしていた家にまだ残っているのか・・・?

冒頭から別の意味で不穏な始まりを迎えた本作。
その予感は正しかったのか、本作はこれまでの作品を見てきたからこそ引っかかる、妙な違和感が前編に渡って描かれる事となります。

前作、”Ⅲ 電子の要塞”で展開された学生時代に惹かれた女性・ラナは本作ではフェードアウトし、初代、Ⅱで関係を築いていたロイスに再び焦点が当たりました。
が、何故クラークが彼女から自分に関する重要な記憶を消去したのかといった二人の関係における醍醐味が、本作を通して大胆且つ大雑把に処理されます。

本作でのクラークことスーパーマンは、初代作の頃にクリプトン星から、もしくは父・ジョーから「地球の歴史に干渉してはいけない」と警告された事を思い返し、自らの存在意義について考えるようになります。
その果てに世界各国から核兵器を撤去する行動に出るのです。
地球のためにあれこれと活動し疲れが溜まったのか、彼はロイスの元を訪れ、自分の正体がスーパーマンである事を打ち明かしてしまいます。
これは本作における致命傷とも言える展開で、ファンからすれば「なんてことを・・・」と失望に近い感情が溢れてもおかしくない、それほどに不自然なシーンです。

"Ⅱ 冒険編”でクラークはロイスに自らの正体を明かし、二人はめでたく結ばれたというのに何故クラークはロイスから自分の正体に関する記憶を消去したのか、その理由は本編を鑑賞した人ならば誰もが知っているはず。
自分の正体を明かした事で、ロイスは敵に捕まり人質となってしまった事。
自分の命もロイスの命も、同様に危機的状況に陥ってしまった事。
あのような事がもう起きない様、クラークは彼女と別れる道を選んだ。
だからこそⅡの結末は”ヒーロー”という存在故の悲しき終着点として昇華されたのです。

なので"Ⅲ・電子の要塞”で学生時代に惹かれていたラナと関係を築く、というのも百歩・・・いや、千歩譲って割り切れました。
勿論納得こそしていませんが…。

では本作、ロイスと何を仕出かしたのかというと、ロイスに自分の正体を明かして空中浮遊デートをした後、結局スーパーマンは再びロイスから自分の正体にまつわる記憶を消去するのです。
スーパーマンと言えど疲れや苦悩はありますし、彼としても愛しのロイスとまた触れ合いたかったのでしょうけども・・・。
Ⅱの結末におけるクラークの覚悟はそんなものだったのかと感じてしまう違和感、そして何より、記憶を二度も消去するという行いを通し、「ロイスを自分にとって都合のいいように利用しただけじゃないか」という憤りが生まれかねない。

スーパーマンという存在は、最早神格化されていると言ってもいいぐらいの絶対的正義超人ですから、そんな彼がⅢ、Ⅳ二作通して我々が愛したスーパーマン像とかけ離れた振る舞いをするとなれば・・・。
Ⅲ、Ⅳは初代、Ⅱと監督が違う事からも作風やテーマが違うのも理解こそすれど、やはりキャラクターの動かし方や思考、何よりキャラクターの根本的な部分にあるこだわりや”らしさ”が損なわれているのは痛手でした。

本作ではスーパーマンを苦しめた悪の科学者・ルーサーが再び登場し、持ち前の頭脳とスーパーマンの素材・髪の毛からニュークリアマンという強敵を生み出し、スーパーマンは彼との戦いに苦しめられる事となります(何故スーパーマンの髪の毛が寄付されているのか、簡単に盗みだせる警備の不届きっぷりとこれもまたかなりのご都合主義ですが・・・)
ニュークリアマンとの戦い、時代が時代なだけに当然ですが"Ⅱ 冒険編”での3人のクリプトン星人との戦いよりも空中戦のスピード・疾走感はしっかりしていましたし、彼らの戦いに巻き込まれて市民に被害が出るも、スーパーマンがその度にフォローする過程も取り込んでいるため、ヒーローとヴィランの戦いにおける醍醐味としても、本作における大きな見せ場としても発揮されます。

ただ、このニュークリアマン、スペック的に強敵ではあるのですが頭脳が弱いため、何故そのような行動に走ったのか分からない点が目立ったり、ルーサーの操り人形という設定以上の何かが浮かんでくるわけでもない・・・というヴィランとしての魅力に乏しいのが残念。
終盤で何故か彼がゲスト出演した女性に目をつけ、さらって行く展開など正にそれで、ニュークリアマンという素材はいいものの、上手く調理されずにそのまま提供されたような勿体無さ。
というかそのまま彼がゲスト女性をさらって行くにしても、宇宙空間にまで飛んでいくんです・・・。
それもその女性は普通に生きてる、と意味の分からなさが加速していく。
何なんですかねこれ。
もしかするとカットされたシーンなどで、彼が女性に目を付けた理由が判明するのかもしれませんが、ならば尚更そういう大切なシーンは残しておいてくれ、って話ですよね・・・。
展開における理由付けというのもありますが、ニュークリアマンというヴィランへのキャラ付けも出来るいい機会なのに・・・。
ベタですが、それこそルーサーの操り人形のように徹している事から、ルーサーの好みの女性と言える人物を捜索していた、といった親への愛に忠実な姿勢を描くだけでも違いますし、もしくは彼女に恋心を抱いた事でルーサーへと反旗を翻す、等いくらでも描きようはあったと思います。

総評としては、スーパーマン4部作の中でもワーストクラスでした。
これまでの3作が2時間越えであったのに本作は90分である事からも、予算面などで制約があったのかもしれませんが、それを考慮してもこれまでの作品を見てきたからこそ生じる違和感(キャラの動かし方・思考回路、緑色の結晶体、ニュークリアマンの魅力の乏しさ等)に終始疑問符を浮かべながら鑑賞する事となってしまう、このアンバランスさは・・・。

また、"核兵器廃絶”というリアルさを意識した主張への対応もかなりいい加減だったのも引っかかります。
核兵器ってそれこそ戦争があるから、またはそれを所持しなければならない程の社会情勢、世界各国の人間によるいがみ合いあってこそ生じるものなので(相手国への威圧・抑止力の意味合いもありますし)、単に核兵器全部処理します、に世界各国が賛成するのは現実味がなさすぎる。
核兵器がなくなったからといって、銃や戦車、地雷といった兵器で人間は普通に戦争しますから、結局この”核兵器廃絶”というテーマ自体にもいい加減な姿勢で取り入れたと思われてもおかしくないです。
Ⅲ同様、本作もⅡの結末分岐した"別次元のパラレル”と割り切らなければ、ファンは厳しい視線を収める事は出来ない、そんな作品でした・・・。