あかねこ

プリンセス トヨトミのあかねこのネタバレレビュー・内容・結末

プリンセス トヨトミ(2011年製作の映画)
2.3

このレビューはネタバレを含みます

原作未読のまま、二度観た。

隣は何をする人ぞ、という句もあるくらいで、他県のひとつが実は自治国家であるというのは面白かった。
人気のない大阪の映像も、面白かったと思う。

ただ、我ながらねちっこいのだが、あちこち気になるところがあった。
まずはダイスケのこと。
明らかに悩んでいて、そのためにいじめられていそうなことも分かっているのに父親は話を聞いてくれない。
後々明らかになる事情から、父親は父親で、「息子」に対して色々悩んでいたとは思うが、考えてしまった。
終盤ダイスケを連れて廊下を歩くが、「息子」「男」と連発する父親に、もう少しダイスケが何か思い切って言うところが映るとよかった(あの廊下を親子で歩く、話をする大切さについて松平に説く以上は)。

それから、松平のこと。
父親の方はあらかじめ、息子にいずれ重大なことを伝えなくてはならないと知っていたわけで、その上でのこの関係の悪さは父親にこそ問題がある気がする。
つまり、息子の方はいわば被害者なわけで、そんな松平がダイスケたちに「帰れ」と罵倒され、挙句に銃撃されるというのはあまりに可哀想だ。
なぜこんなに肩入れするかというと、父親がいない家庭は、決して少なくないからだ。
作中、父親のいない子どもはどうなるのかという説明はない。
ただその代表のようにして、松平が登場するだけだ。
しかもその松平に対する扱いがこれである。

性同一性障害の子どもにしても、そして父親のいない子どもにしても、それは果たして「作中説明がいらないほどのイレギュラーな存在」として扱っていいのだろうか。
果たして親子の関係は必ず上手くいくものなのか。
これは平成の映画である。
まあ子どもは観ないだろうということかもしれないし、大人ならそんなうるさいことを言わないのかもしれない。
しかし、世の中を単純に男・女で分けて語り継いできた戦国時代とは、今ではあらゆる在り方が変わりつつあるのだから、その辺りのゆるやかな変化も描いてあればなおよかった。

私はこの映画を観て、本筋とは全く関係ないのだが、この脚本を書いたひとは平凡な幸せを見ているひとなのだなと思った。