学校とは大人が子どもを(教師が生徒を)教育する場(機会)であるわけだが、果たしてそれは誰のために行われるべきものなのであろうか・・・
転校生というまだどこにも馴染めていない立場から、その学校に存在する派閥(スクールカースト)を眺めさせることを皮切りに、学校という教育システムに関して物申す。問題児はどこにでもいるものだが、その問題とは誰にとっての問題なのだろうかと。
エリートの教育。それこそが世間で言う勝ち組への最短距離だろう。いやハイスクールにてもう勝利が確約されたようなもの。しかしエリート志向とは自らを高めることだけに留まらず、他者を卑下するという排他主義やエスノセントリズムといったところにも通ずる・・・、としている。そして何より若者たちの未来のための教育ではなく、ただの大人に都合の良い操り人形だと。
大人という枠、学校という枠にはめることが必ずしも是とはならない。しかしそれを訴える上でエリート様たちを卑下した描き方をしているので、結局のところ彼ら問題児とされる者たちの本質も同じだということになってしまっている。エリート様たちを一方的に漠然と卑下するのではなく、問題児とされる者たち自身の秀でた何か、守られて然るべき何かで揶揄しなければならなかった。