紅蓮亭血飛沫

スウェプト・アウェイの紅蓮亭血飛沫のネタバレレビュー・内容・結末

スウェプト・アウェイ(2002年製作の映画)
1.8

このレビューはネタバレを含みます

お金持ちの夫を持ち、その権力と多額の財源を棚に上げて自由奔放な振る舞いを欠かさない妻・アンバー。
そんなアンバーはある日、友人達と優雅にクルージングを楽しむ中、乗組員・ジュゼッペへと何かと因縁をつけては突っかかっていた。
そんな彼女の態度が気に障りながらも、乗組員として必死に怒りを抑えるジュゼッペだが、ある日またもやアンバーのじゃじゃ馬っぷりに付き合わされ、二人だけでボートに乗って海に出る。
しかし不幸にもボートのエンジンが故障、無人島へと漂着してしまう。
お金持ちの生活を送って来たアンバーは最早この無人島では無力である一方、ジュゼッペは漁師であった経験等を駆使し、サバイバル生活へ順応していた。
自分一人では何も出来ないアンバーは、必死にジュゼッペへと食料や住処を懇願。
クルージングの時とはまるで立場が逆になった事、憎たらしいこの女を思う存分、自分の手駒として扱える事に楽しみを見出したジュゼッペはアンバーに絶対服従を強いる。
屈辱に身を震わせながらも、二人はどこか惹かれ合い、気が付けば愛し合う関係にまで発展する事に。
その生活が1ヶ月程経過した矢先、遂に救助船が二人の前に現れた。
時間をかけて愛を育んでいたアンバーとジュゼッペは、そう易々とこの関係を終わりにはさせないと意気込み、時と場所を指定して駆け落ちしようとするが…。

1974年の映画、“流されて…”のリメイクを、コードネームU.N.C.L.E.やキング・アーサーといった有名作を手掛けたガイ・リッチーがメガホンを取り、世界的アーティスト・マドンナが主演を務める本作。
更に、ガイ・リッチーとマドンナは当時夫婦関係にあった事、アンバーと恋に落ちてしまうジュゼッペの役を、1974年版で演じたジャンカルロ・ジャンニーニの息子、アドリアーノ・ジャンニーニが務めた…と、映画本編よりも撮影の裏話の方が興味を惹かれる要素が多いですね…。

ストーリー自体は昔の映画なのもあり、至ってシンプル且つ薄味。
無人島という閉鎖環境で、互いにいがみ合う関係であった二人の男女が同じ時間を歩む事で親近感・愛が芽生える…というのはラブロマンスの王道っぷりが目立っていて好きな設定です。
それこそこの手のサバイバルを題材にした環境で、互いに相手を気に食わない奴だと認識していても、その環境にいる以上、コミュニケーションを取れたり自分の孤独を埋める事の出来る人として存在するわけですから、不思議と距離が狭まっていくんですよね。
ジュゼッペはアンバーにとって食料を恵んでくれる唯一の頼みの綱であり、屈辱的な姿を見せたのも彼一人、という環境が作用していると言えます。

だからこそ、本作でアンバーとジュゼッペが恋に落ちた事を自覚するシーンが“クルージングの時点で互いに一目惚れっぽい事になってた”という落しどころだったのが残念。
つまるところ、劇中で描かれる無人島を通しての二人の生活の積み重ねがもたらした愛というよりも、初めて顔を見合わせた時から気が合った、という劇中通してのあれこれが特に生かされていない、最初から決まり切っていたとでも言いたげな着地点がどうもスッキリしませんでした。
それこそ、最初は自分にやりたい放題突っかかって来たアンバーを手中に置いた事に悦びを感じるも、次第に罪悪感が湧いて来て、協力して生き永らえようとする…といった“無人島”という閉鎖環境に来たからこそのストーリー構成、キャラクターの心情変化を描いて欲しかったです。
キャラクターの思考が物語によって肉付けされていく、その実感が欲しかった。

終盤の展開もどうなるか見物だったのですが、アンバーが必死にジュゼッペの元へ行こうとしない様子、流れに身を任せてのらりくらりしてるだけ…とジュゼッペへの愛はどこへやら、最早冷めてしまっているのか思い切りのなさが目立っていて…。
夫がジュゼッペからの手紙を察知して手回ししたのは分かるのですが、それはそれでアンバーも死に物狂いの抵抗をしたりするわけでもなく、ただただ置いて行かれたジュゼッペが可哀想…。

なんだか尻すぼみな作品でした。
主演・マドンナによる持ち前の肉体美・歌唱力披露は勿論、序盤における女王様のような自分勝手な振る舞いがかなりのハマり役だったので、マドンナファンは見て損はない作品だと思います。
が、痒いところに手が届いていない中途半端な調理が、ここぞという場面で目立ってしまっているので、総括としてそこまで面白くはありませんでしたね。
もっと“無人島サバイバル”を舞台にした甲斐のある構成と、キャラクターの行動が欲しかったです。