フェテッィッシュな魅力に取り憑かれるのに理由なんてない。
尻フェチになってしまったら最後、ほぼ一生尻フェチなのだ。
今作はただ単純なエロティックなコメディというわけでなく、むしろ不条理でシニカルでアバンギャルドな作品といっていいかもしれない。
主人公のロウレンソは不思議な魅力を持つ尻と出会ってしまったがために、婚約を破棄してしまう。
この流れからその尻を持つウェイトレスにロウレンソがアプローチする流れに当然なるだろうと思うのだがそうはならない。
彼はあくまでもその”尻”に興味を持ってしまったがために、その持ち主であるウェイトレスにはまったく興味をもてないでいる。
”尻”を手に入れたいと思うロウレンソだが、それを手に入れるためにウェイトレスと恋に落ちるという発想はない。むしろその尻を手に入れてしまったがために付随するであろう彼女の感情を余計なものと考えているのだ。
感情を抜きに”尻”を手に入れるためにレストランのまずい飯を食べ、ウェイトレスとくだらない話をしていたロウレンソの周りにある変化が訪れる。
自分の事務所のトイレの下水が詰まってしまうのだ。
この下水の詰まりが物語、ひいてはロウレンソの深層心理と大きくリンクしてくるところにこの映画の妙な魅力と中毒性があるのである。
ロウレンソの思考は停止し、ウェイトレスに金で尻を見せてくれないかと懇願する。
ここから物語の不条理さはさらに加速し、ロウレンソ同様に思考停止に陥ったその他大勢の登場人物たちが入り乱れて思わぬ方向へと進む。
音楽とのバランス、シンプルだけれど高度なカットワーク、今作が長編二作目というエイトール・ダリアの手腕は末恐ろしい。
単純な尻フェチ映画ではなく、映画として非常に興味深く中毒性のある作品だと思う。
蛇足だが、ロウレンソを落とした尻はけっこうデカ目の尻でその辺の魅力は共有することはできなかったのだが残念である。
まあ、人には好みがありますからね。