一休

サルトルとボーヴォワール 哲学と愛の一休のレビュー・感想・評価

5.0
この映画を観終わって、この時連れて行ったうんちく奴隷に、「結婚ってどういうことなんですかね?」と聞かれた。
オイラの意見として、「結婚するということで役所に書類を提出する制度は、単なる税制だよ。好きな人と夫婦として一緒にいるというのとはまったく別の話だ。だって人類の歴史上、市役所に結婚届を出すようになった150年前よりもっと前から、夫婦という形はあったんだから。」と言っておいた。

第一次世界大戦以後、第二次世界大戦開始の間、ヨーロッパはそれまでのキリスト教的生活基盤を見直す風潮が起こり、若者たちがその思想を形態化していった。
そんな中に哲学という手法を以って現れてきたのが、ジャン=ポール・サルトルという人物だ。
しかし、彼は彼一人だけでは、自分の思想を形にする事も、人に示す事も出来なかった。
その彼の前に現れたのが、ソルボンヌ大学の女子学生であったシモーヌ・ド・ボーヴォワールであった。
後に『実存主義』と称される自分の思想を理解できる出来、しかも、それを具現化しながら一緒にいてくれる女性としてボーヴォワールを選んだサルトルであったが、「女性はある年齢になったら、妻となって、夫の言うままに生きていくもの」というカトリック的男尊女卑の世界で生きるボーヴォワールという女性にとっては、サルトルという男と一緒に生きていくというのは、他人には理解しがたい一大決心であった。
サルトルのために快楽を与え、サルトルの書いた文章を出版するために働き、サルトルの不道徳(?)を擁護する人生。
しかしそんな中でも、アメリカ講演旅行中に、オルグレンという自分の為の快楽を見つける。
ボーヴォワールの快楽を担う事ができると感じたオルグレンは、パリへ帰ると言うボーヴォワールを引きとめるために、指輪を送って求婚する。
結婚は断ったものの、オルグレンをともなってパリにもどったボーヴォワールであったが、サルトルとの長い年月を自分の快楽だけと交換する気にもならず、結局、サルトルと自分の人生を沿わせる事を選ぶのだった。

題名は【サルトルとボーヴォワール 哲学と愛】であるのだが、原題は『愛の花』とかなんとかいうのだし、内容としてはむしろ『ボーヴォワールとサルトル』といった感じだ。(笑)
一見すると、自分勝手なサルトルという男に尽くしたボーヴォワールという女の一生を描いただけのように見えるが、ちゃんと考えると、婚姻届を出さずとも、夫婦という形を容認した現代フランスを先取りした女性の一生を描いているのだ。
それは、自分の好きな男と添い遂げるための方法論や、その覚悟を持つか持たないかという話だ。
自分の人生を自分で生きたボーヴォワールだからこそ、愛されたという事実と愛したという事実を証明するかのように、唯一愛の証として贈られたオルグレンからの指輪をはめたまま、ボーヴォワールの横で眠りに付くという人生を送れたのだろう。

今回の映画を観ると、やはりロマンスというのは始まりに起こるのではなく、終わりを見た時に感じるものなんだと思ってしまう一休であった。
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