公園入口徐行

マルコムXの公園入口徐行のレビュー・感想・評価

マルコムX(1992年製作の映画)
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今日ちょうどマルコムXの生誕だったらしい。偶然にも。



この映画、長いこと自分の"観たいものリスト"に入れてそのままにしていた。やっと観れた。

ここ数日、私は『國民の創生』を暇な時間に細切れで観ていて、後半に入ってだんだんとレイシズム描写が増えつつありげんなりとした気持ちになっていました。

それにしても映画はあらゆる表現方法やエンタメの中でもかなりプロパガンダに有効な手段とも言えるよなあ。『國民の創生』は問題作でもありつつ、映画史に残る作品と言わざるを得ない。その二面性は表裏一体でもあり、映画とプロパガンダの関係を考えるに非常に示唆的だと思う。グリフィス監督が映画の父であるという時点で、映画史は原罪を抱え続けているような気もする。

歴史に関係する映画などは、過去の状況を描いてはいるもののやはり現時点での実際の政治状況権とも無縁とは言い切れない。ここ最近観た『無名』『オッペンハイマー』でも同じようなことを考えた。

結局、現代のイデオロギーからある程度は距離を起きつつ対立関係の物語を描くためには、『猿の惑星』よろしくSFの世界観で架空の存在と戦うというのが無難なのだろうか…。

もちろん差別的な映画を見て嫌な気持になったからといって「アメリカの中で人種差別で迫害された人々の気持ちがわかるようになった」とは口が避けてもいえないが、とにかく『國民の創生』を半ば義務的な気持ちで観ながら「これが映画の表現技法としてはエポックメイキングな一作であるというのもすごく残念だなあ」というモヤモヤを抱え続けており、そんなとき『マルコムX』を観るなら今かもしれない、と思い視聴。

最初のミュージカル映画チックな軽快なシーンからどんどん引き込まれた。マルコムの演説にはぐっと来てしまう(彼の話し方は「白人的」なのだろうか?気になる)。

KKKと父親の存在が一種のトラウマ的にフラッシュバックしてくる描写が印象的。

『國民の創生』でもKKKを観て、『マルコムX』でもKKKが現れた。そして劇中のマルコムの力説を聴いてどこかスカッとしたのは確かである。

映画の本筋とは離れるが、マルコムが自らの出自を「X」だとする主張は、アフロフューチャリズムの概念に通じる所があるのだろうと思った。






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