かーくんとしょー

華麗なるギャツビーのかーくんとしょーのレビュー・感想・評価

華麗なるギャツビー(2013年製作の映画)
4.2
日本でバブル世代を描くのが難しいように、アメリカでジャズ・エイジを描くのも非常に難儀な仕事だろう。
例えば戦時下のように特定の対象物だけ描き出しても足りず、空気感そのものを描かなければ本質的でないからだ。

その点、本作は時代の享楽的な生ぬるさを画面いっぱいに敷き詰め、不朽の名作『グレート・ギャツビー』の名を負うに恥じぬ映像を作り出している。
この映像の過剰さに批判的な向きもあるようだが、その過剰ゆえの一種の喜劇性こそ、私には原作とジャズ・エイジへの理解の深さと感じられる。

原作『グレート・ギャツビー』は、技法的には〈信頼できない語り手〉の代表でもあるニック・キャラウェイが語る回想譚の形式を採る。
過去とギャツビーの信奉者のようになって惚けているニックの脳裏には、当時の景色が象徴的であり戯画的に思い出される。
映画では、このニックの回想という枠組みが明確に示されており、現在と過去の映像との色彩的・聴覚的ギャップが技法として非常に生きている。
このような表現は小説ではなく映画にこそ許された特権と言えよう。

次に、キャスティングでも驚きがあった。
何度も映画化されている中でも、本作でデイジーを演じたキャリー・マリガンの〈甘ったるさ〉は群を抜いて軽薄!
デイジーの最大の特徴である決断の放棄ーー動き出した運命にただ従うだけの非主体的・即興的女性像に、ここまで合うキュートな女優がいたとは。
トビー・マグワイアのナイーブな演技はニックのイメージ通りだったし、ギャツビーを演じたレオナルド・ディカプリオもーールックス的にあまりドイツ系に見えない点に目を瞑ればーーギャツビーの持つ底抜けの〈胡散臭さ〉を体現し得る数少ない存在だったように思う。

偉大な原作に果敢に挑み、小説にはできない角度の切り口で、高いレベルの作品が作り上げた。
しかしそれと同時に、映像や音でどれだけ情報を与えられても、なお原作小説が我々に与えた感動には届かず、むしろ自由な翼が奪われていくようにも感じられる。

描けば描くほどに実態が掴めない飽和時代ーージャズ・エイジの薄気味悪さが、必死に映像化しようと試みるほどにより伝わってくる。
そんなメタ的副産物は、果たして作り手の意図的だったか無意識だったか。

余談だが、困った時に機転と嘘と金で切り抜けるトムが誰かに似ていると思ったら、「タイタニック」のキャルだった。
ディカプリオは二度目の受難。

written by K.
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