いぬ

ザ・マスターのいぬのネタバレレビュー・内容・結末

ザ・マスター(2012年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

さまよえる心を、水兵というフレディの職業と、彼の乗り込んだコーズの船、そしてランカスターが度々歌う船の歌、ランカスターと決別したフレディが眺めている映画で暗示しているのだろうか?

おそらくアニメ映画と思われる、フレディが見るあの映画では船長は船にいなければというセリフが出てくる。マスターとしてコーズのてっぺんに立ち続けているランカスターから会いに来ることがなくても求められれば応じることの理由づけ?というか、フレディが、自分で行くことの言い訳を決めているみたいに感じられた。

フレディは軍だったりコーズ(の、特にマスター)に拠っていないと何をしでかすかわからない人として描かれているけれど、見ようによれば彼は自由にも見えるし、だから最後のランカスターの引導は捕まえた蝶を自分で放つような、ええ…そんな……という行為ではあるのだけど、ただ決別するだけではなくて、ああして会ったのはランカスター側からも折り合いをつけたかったのかなあ。

途中までふてくされていたランカスターの息子ヴァルが最後は背筋を伸ばして英国支部でフレディを迎えに来る人物に変化していたのが気になった。あれはどういう意図なのだろう? 自分の言葉によってマスターへの疑念を抱かせた男がわざわざ戻ってきたのを見たかったのだろうか。

ホアキン・フェニックスの極端に猫背でふらふらした足取りの男が次にどんなことをしでかすかハラハラして目が釘付けになった。
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