ザ・マスターのネタバレレビュー・内容・結末

「ザ・マスター」に投稿されたネタバレ・内容・結末

父はアル中で死亡、母は精神病院にいるという恵まれない家庭育ち、第二次世界大戦帰りのホアキンフェニックスが、侵入した船で偶然出会ったカルト宗教にハマる。一方、教祖フィリップシーモアホフマンもホアキンに惹かれる。逮捕された時の暴れて便器を踏みつけて壊すシーンはアドリブらしい。宗教は前世の記憶を辿るというインチキ臭いもの。信者になったと思われたホアキンは砂漠でバイクに乗ったまま抜け出す。元恋人に会いにいくも、既に結婚しているスケアクロウ的な展開。もう一回教祖に会いに行って歌を歌われて、マスターなしで生きることを決意
演技対決。
ストーリーは淡々としてるんだけど、2人の演技が凄いから、実際に洗脳されるってこんな感じかなぁと思った。
エイミーアダムスも良い味出してた。
ちょい役のラミさん。
再見
劇場で初見時に寝ちゃったのがもったいなかったなというくらい良かった

ラストのチャイナボートの歌泣くわこれ
不器用で放埒な内在的欠陥を埋めるかのような拠り所としての疑似父子関係、その関係の解消の切なさよ…
留置所に入れられた時のホアキンの肩甲骨の浮き出具合が役作りもあるだろうけど病的で、ジョーカーでも思ったけど身体性が演技に直結する稀有な俳優だと改めて認識した
キャスパーのアニメ映画に呼応するかの様に再び船に戻るシーンも良かった
未公開映像のクールのメンソールで何度も爆笑するホフマンとホアキンかわいすぎたな


追記
思い返せば思い返すほど、フレディというキャラクターを愛してしまう
 ロールシャッハで性的倒錯が明示されるのに女性と性的接触しようとすると寝ちゃうとこ。作中最後にバーで出会う女性とはベッドシーンがあるけれど、それまで女性を口説いたり裸の幻視をしたり浜辺のラブドールと擬似したりはするものの、性交自体はできてない。倒錯しつつも実質は精神的に去勢されてるのが怖かった。いるもんこういう人
 父をアルコール中毒で失くしていて父性愛を渇望してるのに、カメラマンの仕事で社会的成功を収め子もいる男性に対して暴行しちゃうとこ。何度言われても照明を近づけるって演技がすごくリアルに見えた。心では渇望してるのに破壊的・反抗的に接してしまうアンビバレントな精神状態がよく伝わった

 放蕩して悪気なく人を傷つけて酔っ払ってドッドの客船に乗って、そのまま人生自体もドッドを船長としたコーズの船に乗ってゆくフレディ
プロセシングは被験者を過去に遡行させる催眠療法っぽかったけどこの手法の正当性なんて正直どうでも良くて、フレディはただ大きなモノに抱かれたかった、父性を渇望して船長による導きが欲しかったんだと思う。コーズの教義や理念にはまるで興味があると思えないし。ただ体良くプロセシングで日本兵をたくさん殺したこと、ドリスと交わした約束を守れなかったこと、叔母と性行為をしたこと等を話して動物と罵られるだけに見えたし、中盤でやらされる壁と窓を往復させられるあの工程も意味があると思ってやってないだろう。父性愛への憧憬だけで導きを与えてくれたドッドに心酔してるからこそ、他者がコーズを批判すると暴力をふるってしまう。ドッドとの疑似父子関係のみが癒しで、コーズへの疑念の閾値が振り切れたところがあの中盤のバイクで消失しちゃうシーンなのかなと思った。ドリスの元を尋ねて話を聞いて、精神的去勢は収まったように見えたから、プロセシングが全く無意味であったわけではない。
あらすじ:友よ、君に幸あれ!

新興宗教の教祖マスター・ランカスター(P.S.ホフマン)が、自分にとって何の得にもならないイカれ帰還兵フレディ(J.フェニックス)を、家族として迎え入れるが…という物語。

この世は基本損得と悪意で成り立っているので、何も考えずに生きていれば辛いことしか起こらず、魂迷子不可避。逆に言えば、魂を救い出せた(=人生に意味を見いだせた)なら人生は幸福。

そのために、ランカスターは信仰をよりどころにしました。しかし、うまいことビジネスを成功させて裕福になっても、一向に救われた感がありません。それもそのはず、彼は宗教を履き違えているのです。

宗教は綺麗事しかしてはいけないし、他の理念を拒絶してはいけないし、金をとってはいけません。この点、ランカスターは全部アウト。その家族は更に下等で、信者を選別する始末。

ただ、その魂救済法はなかなか理にかなっていました。内省させコンプレックスと向き合わせ自力で克服させるというもの。しかし、結局は信者を操作する方法。操作=マウンティングであり、対等な関係は崩れます。当然、宗教として成り立たなくなります。

一方のフレディは、世界に拒絶され(たように感じ)て世界を拒絶する男。悲しみと怒りが溢れかえってどうにもならず、自暴自棄に鬱憤を撒き散らす日々。

ランカスターは一目みて直感したでしょう、こいつはかつて(信仰に目覚める前)の自分だと。フレディの救済が自分の救済に繋がると。

誰かを“自分が”救いたいという気持ちには、恋愛感情に近い利己性が含まれています。「ありがとう何もかもマスターのおかげだ。」「いいんだよフレディよかったな(俺がいて)。」こんな掛け合いを望んだはず。

しかしフレディ、ランカスターの生き方は自分に合わないと結論、ついに袂を分かちます。「何があってもあなたについていく」と誓った女が、男のもとを離れるようなものです。

フレディは感情の赴くままに怒り、泣き、悲しみ、喜ぶことにしました。それは入信前の彼と何ら変わらぬ生き方ですが、「このやり方で生き抜く」という信条が完成されているので、もう魂は迷子ではありません。自立したのです。

それを感じ取ったランカスター、「俺のもとを離れるのなら二度と帰ってくるな。次に会う時は生涯のライバルだ。」。恋人と一緒になることを諦め、ただ恋人の幸せを願うことにします。ここではじめて、対等な関係が完成します。

天を仰ぐランカスターと地を這うフレディ。正反対の道をゆく二人ですが、目指すは同じく魂の救済。これはつまり、人は結局一人だけど、一人一人が人生に満足できたなら同じ場所に辿り着くことができるということ。スタンドアローンコンプレックスみたいなお話でしたね。

主演二人の演技合戦がお見事。幸せそうにセッ○スに耽るフレディ、トラウマを克服した曙光が眩しいです。

劇伴は『ゼアウィルビーブラッド』に引き続きジョニー・グリーンウッド。僕はジョン・ブライオンびいきです。
よかった。
後から見たら、ポスター両サイドに同じ人がいる、その人の背後にいるのが前の人のマスターってことか!
途中なにを描いているのかわからなくなるくらいやばかった。

結局最後も砂場にいて、同じように女の人の影を見る、離れてしまった誰かを想っている。
キリストの原罪みたいなこと?
自分がいま寂しかったり苦しかったりするのは、主と離れてしまったから。

ホアキンさん素敵だった。
冒頭の方の船を追いかけるシーン、カメラが主人公を追って、船に乗り込んだ後も岸から船を追う動きがすごかった。
船の中の光綺麗だったな…。一番最初のシーンの椰子の実?を切るシーンもよかった。映像にずっと見惚れてしまった。
音楽もとても好みだった。
指示には従っていたけど最後まで
マスターとは呼ばなかった。
主従関係とは呼べず、友情と呼ぶには
あまりに利己的な関係。
依存に近いのかな。

Joaquin Phoenixの壊れっぷりが
素晴らしかった。

2020#84
野獣のように暴走する制御不能な主人公。
カルトの催眠を通して、次第に自己制御するようになる。

冒頭の精神病院のシーンといい、暴れまくるシーンといい、主人公を演じるホアキン・フェニックスが完全にジョーカー。
留置場で便器を蹴り壊すイカれた演技が圧巻だった。

今見ると、脇を固める俳優全員が名優揃いで驚く。
ポスター的にはホアキン・フェニックスがマスターなのかな?と思ったらマスターではなったと思ったら実はマスターでもあったみたいな映画。いや何を言ってるんだと思うけど。
酒!暴力!女!とまるで獣のように暴れまくるフレディが作った酒に魅了された宗教団体の教祖的存在であるランカスターとの疑似家族のような親友のような、更に言えば恋愛的要素も含めた関係が余りにも堪らない。拘置場で暴れ回るフレディに対して「俺以外親友なんていないだろ!」って怒鳴ったり、終盤には完全にラブソング歌っちゃってるし、エンドロールはダンスよダンス。特大感情で死にそうになったわ。
その関係に間を割るように入ってくるのが妻のペギーで、面白いのが「他の女に浮気してもいいけどアイツはダメ」みたいな感じで致している様が、絶対に逆らえない存在であることを際立たせていて面白い。でもそれでもフレディを切らないのは、彼がPTSDを患ったけど教団の教えのおかげで治りましたよ!という宣伝効果が大きいからで、謎の三角関係が成り立っている。おかしくて堪らない。
しかし、マグノリアといい、PTSはミュージカルみたいな映画を作るよなあ。音楽に詳しくないからまた色々調べてから見直したい。
新興宗教の教祖としてでなく、1人の人間として居場所を与えてくれたマスターへの敬意
マスターはマスターで自由な男ホアキンに憧れも示す
住む世界は違ったけど確かに友情があった……
ということなんですかね これでいいんですかね?

どうでもいいんですけどポスター、5人いるのかと思ったら3人しかいなくて笑っちゃいました
マグノリアを観てからポール・トーマス・アンダーソンの他の作品も気になって観賞。

マスターが本当にフレディのことを思って助けてるのか、ただカルトの一員にしたいだけなのかは最後まで曖昧だけど、「私のもとに戻って来なければ来世では敵だ」って言うあたりは(彼が意識して言っているかはともかく)心理的な脅迫だと思うし、この映画はカルトのそういうところを批判しているのかなと思った。世界大戦後の精神的に弱ってる元兵士はいいターゲットだと思ったのか。でも妻や娘に彼は危ないって言われてたにも関わらずあそこまで引き止めたってことはやっぱ好きだったのかなー
最後フレディがマスターのメソッドをナンパ目的として取り入れてるのは、彼にとってはその程度の事にしか役立たなくて、本当の治療にはなってなかったんだろうな。
いやしかしフィリップ・シーモア・ホフマンはどんな役でも演じきれてほんとすごいわ〜毎回全然違う人に見える。
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