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みえない雲の文字のレビュー・感想・評価

みえない雲(2006年製作の映画)
3.7
 人災たる原発事故が引き起こす限界状況を克明に描くドイツ映画。1986年のチェルノブイリ原発事故の翌年にドイツで発表されたベストセラー小説が原案らしい。この作品が公開されたのはチェルノブイリ原発事故から20年後のことでもある。ほんの一瞬ではあったが、学校の壁に描かれたピカソのゲルニカが画面に映し出された時、その後に起こる悲劇を暗示している装置として機能しているように見えた。
 正直なところ先進国のドイツでここまで悲惨な状況になるのだろうかと疑ってしまう自分もいたが、描かれた惨状をあり得ない空想の出来事だと否定することはできない。むしろ将来私の前に現象してくる出来事は、この作品で描かれた悲劇よりもっと悲劇的かもしれない。私たちは日常原発に関しては何か関心を引くような出来事がなければ意識の外にある、あるいは無意識的に考えないようにしているのかもしれないけれども、常に脅威にさらされていて、犠牲のシステムの上に私たちの生活が成立していることを忘れてはならないと思った。
 思うに原子力発電所とは、人を例外化させる潜勢力を備えた装置なのだろう。それはすなわち生政治の産物でもある。スリーマイルやチェルノブイリ、福島原発の事故を経て今でこそ人々はある程度原発に対して注意を払うようになったけれども、それでも人は潜勢力に気づかないふりをして日常を過ごしている。いや、私たちは「自由」に日常を生きることができる。自由で、自律的で、自己管理のできる私たちは「よき生」を生きている。しかしその生は現勢的なものではなく、逸脱しているとみされれば簡単に崩れてしまう脆性を持ち合わせていることを改めて知らしめられた。
 最後にハンナは喪の作業を完了するところで映画が終わるわけだが、若干その描写に不満は残る。また、(いないことを願うが)背景知識をほとんど持たない人がこの作品を見た場合事故被害者に対する差別を助長することにつながるのではないかというシーンもあった。結局のところ作品の主題が今一つ暈けてしまっている様に思う。この作品をどのように解釈し、受け止めたらいいのか当惑した。もちろん作品に忠実であるためには忠実であるとされる解釈の系譜を辿る必要などないし、そのような系譜があるべくもないわけだが、理性とモラルの狭間で宙吊りとなった。
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