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グッバイ・ファーストラブのあのレビュー・感想・評価

グッバイ・ファーストラブ(2010年製作の映画)
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「微光」という主題が、建築の授業において建築家の教授から提出され、いくつかの連想の言葉を学生が口にするなか、カミーユは「闇を退けるもの」と答える。そこから建築の、あるいは家というものの闇についてに教授は話を移し、闇、それは記憶だと言う。失恋から年月が経ち、カミーユは静けさのなかで耐えているようだ。教授はカミーユの提出した池を空間の中心に置いた建築プロジェクトを褒め、彼女の持つ成熟をみる。教授と付き合い出して、事務所で働く彼女の部屋の壁には、かつての恋人シルヴァンと訪れた田舎の空き家の写真が飾られている。例えばその写真は静けさのなかで耐え忍ぶカミーユにとっての微光だったのか。それとも過去の記憶=闇なのか。この表裏一体は静止した水に映る微かな光を想起させる。静かな水が持つヴォリューム、質感を感じ取ること。それが彼女の空間に対する感性のもとのような気がする。静かな水の周りを静かに歩く。覗き込むと過去の記憶を思い出しそうでこわいかもしれない。
思えばカミーユが新しい出会いに解放されたとき、そばにあったのは海で、海に浸かることは静かな水の鏡を優しく溶かすようだ。再びシルヴァンと出会い、また別れてから彼女は川で泳ぐ。今度は流れが体を包み、それがロングショットになって手前からずっと向こうまで流れていく川の流れがラストショットだ。
終盤に至るまで、この映画を見ていることがまさに「微光」を見ているかのようであって、その留めようのないスリルのなかでカミーユの静かに歩く姿を見ていた。
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