ホーリーモーターズは人生において演じることと現代社会におけるその希薄さを語っているように思う
映画を通じ演技により僕らは他人の人生を見ることができる
車たちは「人間はもう見える機械を望まない」「そうだもはやモーターを欲しがらない、もはや行為を欲しがらない」と話す
映画内では演じた後の再生が数回描かれる
カラックスはそれを望んでいるのではないか人は演技によって擬似的な生と死を繰り返すことによって成長する
それが行為であって他人のそれを見ることができるのがカメラ(見える機械)を通して撮影された映画なのである
カラックスの映画に対する思いが非常に詰まった映画であった