EmiDebu

エンディングノートのEmiDebuのレビュー・感想・評価

エンディングノート(2011年製作の映画)
2.5
去年の夏頃、コロナで死にかけて1ヶ月入院し無事に退院出来たんだけど少し歩くだけで息切れを起こすようになりただ、夜になるとインスタライブをしていた。

そこで「邦画の名作50選を決めよう」と銘打ち、フォロワーさん達からたくさんの作品の名前が挙がった。
その中でその時は名前も知らなかった「エンディングノート」という映画に多く票が入った。
こっちとしては、例えば「千と千尋の神隠し」とかに多く入るもんだろうと思ってたんだけど意外とそんなことはなかったのだ。

それで気になって今回、鑑賞に至る。

癌を宣告されてから死に至るまでの映像の記録をナレーションを加えながら描き出していく。
癌で次第に痩せ細っていく姿や、死というものをノンフィクションで描く姿はよくよく考えると今まで見たことがないものだった。
この日本を支えたとある1人のサラリーマンの死に様はどんな作品よりもリアルでドラマ的であった。

「映画とは退屈な部分をカットした人生だ」という言葉を引用するならば、これほど人生を描くことに特化した映画はなかなかないと言える。

自分がもっと「父」という存在を身近に感じられていたらもっと感動していたのかもしれない。きっとどこにでもある家庭の様子が自分にはとても真新しいものに映った。
不幸自慢とかではない。むしろ、父親と過ごさなかった自分の人生をどこかラッキーと感じてしまったほどだ。
どうしてもそこの価値観に入り込めない感は観ていて感じていたがそれはもうどうしようもないことで、「分からない!」とお手上げ状態。想像で補うしかない、一家における父親の重要性とか、家族はどれくらい親密なのかとか、こんな真面目そうなお父さんがいたら窮屈じゃないかな?とかそういったことは。
ましてやゲイに生まれてしまった俺は子を持つ可能性もほぼ0%で、即ち父親という立場を経験する可能性もほぼ0%なのだ。共感しづらさはきっとそこにあったと思う。

死ぬことを事前に知れて、短いながらもそれに備える時間があったことが、むしろ幸福なことなんじゃないかなと思えた。亡くなるにはあまりにも若い年齢ではあるが、段取りできないほど徐々に老衰して亡くなったり、急に亡くなる人が世の中半数以上なんじゃないかな。
自分の考え方において、亡くなってしまうということそれ自体はとても悲しいもので、できることなら憎むべき相手にも死んでほしくないと思う。それくらい死を忌んでいる。でも、死は避けられないという命題の前で、自分だったらどんな風に逝くのがいいかというとボケる前、しっかりと意識がある間にできるだけお世話になった人にお礼を言って、やり残したことをなるべくして、なるべく迷惑を世話をさせるような面倒をかけないで逝きたい。そう考える人は自分も含め多いと思う。だから死は悲しいことだけど、不幸な死だとは思わなかった。

少し観ていて胸糞が悪いシーンがいくつかあった。
オーガニックのにんじんジュースを「癌が消えるから」と飲ませて、病院から出された薬に対しては「薬(飲むの)やめたら?」と言う。(本人は「ダメダメ」と拒否)。本人は入院したがってるのに長男曰く何度も「家でもいいよ?」と入院させたがらない長女。時代が時代だから最近話題の超科学的なことを信仰する陰謀論者みたいに見えてしまった。もちろん別の思いがあるのかも知れないけど。喪主のことを全部やりたがらない母、倒れててもお構いなしに話しかけまくる家族。あと最後のナレーションは本人が言ってないことを勝手に本人として喋っていて感動のために「こうあるべき」というセリフを押し付けていてそれも嫌だった。

そもそも自分の肉親の死を商業化してる時点で、、、。みたいに思ってしまうし。
うん、多分そこが一番強いかな。自分の肉親の死を商業化して、そこに最後のそこだけフィクションのナレーションで感動を押し付けてくるあたり、一番この映画で大事にしなきゃいけない「尊厳」を台無しにしている気がする。

SNSが普及し続けた先に、いいね欲しさに親の死をツイートするのが当たり前になる世の中になりそうで嫌だなぁ、と個人的には思うんだけど、この映画にはそれに似た嫌悪感をどこかで感じてしまいます。
EmiDebu

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