器量がよくて目立つ女の子の隣にくっついていた友人ポジションの人物がちょっと目を離した隙にかなりその子に寄せていく現象は思春期とその後のあるあるなので、同窓会のコハマちゃんが一番生々しかった。あとさんざん目をつけてきたきたくせに「懐かしくなっちゃった!」と笑って歩み寄れる学級委員タイプの子ネ……
久しぶりに見たけれどやっぱりリカコの肩を持ちたくなってしまう、というかリカコの肩を持っているのが見事にわたしだけで笑ってしまう 選択肢が狭まるなかで自分なりのベストな選択を信じていて、ヒステリズムにも筋の通らないところやパニック発作的なところが実はほとんどない。主人公にはお礼くらい言うべきだとは思うが……
一緒に見ていた人は「とはいえ友達に酷いこと言ったからって急にビンタするのはヤバいと思ったけどね」と言っていたけど、あれは主人公が本当はその件(酷いこと/尊敬している男友達に気持ち悪いと言ったこと)で怒ったくせして、そこにはいっさいふれず「(二人で東京に行ったことを)言いふらしたでしょ」というすり替えの槍玉で、それも頭ごなしに人前でつっかかっている。
リカコ本人が言いふらすはずないし(孤立状態で言いふらしようがない、母親に叱られるのも避けたい、そもそも主人公には借金の件で口が軽かった前科がある)友人のマツノがリカコによって傷付いたことの不快さ&多角的な嫉妬のような感情の吐露として、真相のディテールを省いて「噂になってるよ」と発言した主人公の無意識な浅ましさを「随分友達思いだこと!」という端的な皮肉でしめくくり、リカコがついにその時期の丸ごとを諦めざるを得なかった瞬間だと思うんだよね。自分が確かに誰かと過ごしていたはずの時間がすべて立て続けに蔑ろにされていく途方もないやるせなさ(親、かつての恋人、根本的には相容れないなりに懐いてくれている女友達、自分から選んで声をかけた唯一の男の子、その聡明で親切な男友達に実は向けられていた恋愛感情)。
本当に暴力だけが態度や発言や時間や思慮よりもそこにあった暴力として見なされていいんだろうか?実地的で手順を踏まえた絶望の上でのヒステリズムを「本当」としてかなり信頼してしまう、逆にそれでも寄り添いあって生きていこうかみたいになられると「おい立ち上がれ!ひっぱたけ!そして出て行って二度とそこに戻るな!」と思うから、リカコは珍しくそれをやってくれた人物である。
海が聞こえるは「感情にフタをすること」の群像劇なので好きです。