自家製の餅

永遠の0の自家製の餅のレビュー・感想・評価

永遠の0(2013年製作の映画)
2.0
戦争──即ち大東亜戦争(太平洋戦争)を示すものを現代と接続することで「理解」しようとする作品。その緒は人々の「感情」だという点に、なんとも言えない気持ちになる。

史実をありのままに伝えるだけでは、なにも残らない。そこでナラティブに語ることによって観るものを感動させるという構造──。
そのキーワードは感情である。「戦争は絶対ダメ」という大前提のもと、だがしかし肯定できない戦争を生き抜き、あるいは英霊となった者たちと、いまある自分の実存を繋がなくてはならない。乗り越えられない論理を引き受けるため、感情を駆動させ、涙する。

三浦春馬演じる青年が合コンで特攻と自爆テロを混同するネタを流すことができずに反応し、声を荒げて立ち去るシーンがある。この世間とのズレは保守主義的な「引き受け」の象徴にみえた。


ゼロ戦に乗り、失われた命があるからこそ今の自分や家族があるという問題を、架空戦記というかたちで「具体的に」人間の出会いとして表現している。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、以つて万世の為に」という昭和天皇裕仁の玉音放送がラストで流されるが、生き延びた国民と、家族のためにあった思いが国体に接続し、包摂される。


直感的に避けていた作品だが、靖国神社が三浦春馬ファンにとって意味ある場所になりつつあるとの話を耳にし、あえて観てみた。
2014年に上京する直前にした父との会話をおもいだす。父と弟はこの作品に感動したらしい。「なにか感じるものがあるかもしれない」と。私は「いや、観ないっしょふつうに笑」と冷淡に流したが、視聴後もその感想は変わらない。泣きもしなかったし、なにより2時間の映画を観るのに6時間くらいを要した(集中できず、何度も中断)。
しかし、小難しい論理を理解しようとせず、むき出しの感情で物語を紡いでいきたい場合は「便利」な作品だ。なぜ人々が感動を覚えるかが理解できた気がする。
丁寧につくられた作品だが、感想は永遠に「ゼロ」だ。なぜなら主人公に感情移入できなかったから。その構造に没入しない限り、空っぽな時間が流れる。