Ikuya

わたしはロランスのIkuyaのレビュー・感想・評価

わたしはロランス(2012年製作の映画)
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映画とは直接関係ないけど、ちょっと思い出した話を。
長くなりますが。



今でも覚えてる。
あの時の少し険しい母親の顔。

俺が小学生の頃、ある事に関する特集をたまたまテレビで見ていて、浮かんだ疑問を母親にぶつけた。
「なんでこの男の人は女性として生きたいの?男として生まれたら男として生きていくべきでしょ」と。

母親は少し険しい顔をして、暫くの沈黙の後「今見えてる世界は小さいものなんだよ」と言った。

当時は、テレビの中の彼を否定も肯定もせず、当たり障りない言葉を放った母親の様子から、簡単な問題ではないんだなと言う軽い印象に終わった。

でもその特集が性同一性障害に関する話だと理解するのには時間はかからなかったし、同様に自分の過去の発言を悔いるまでにも大した時間は必要じゃなかった。

ただ今となって考えてみても、あれが間違った発言だったとは思わない。何故なら、当時の率直な俺の疑問は、多くの人の脳裏によぎるものだっただろうし、そもそもこの種の話題に正誤など無いと思うから。
(自分の過去の発言を否定しない、というのは性同一性障害を抱える方達を否定しているわけではなくて、それに対する考えは個人差があってそれぞれの考えを尊重すべきよな、という意味で。
今は人それぞれ好きに生きたらいいと思ってるので、肯定派。)

近年、世間でよく耳にする多様性という言葉は、本来と異なった使い方をされている気がしてならない。
"マイノリティーを受け入れよう"
"多様性を受け入れよう"
とか耳触りの良い言葉は、ある種脅迫的な要素を含んでいて、無理矢理首を縦に振らされているような気になる。

それを肯定 否定する人の双方の考えを受け入れる事が本当の多様性の寛容であり、マイノリティーという言葉さえ不要になる、多数少数の枠に囚われる事なく個々を受け入れる考えが浸透していくことこそが理想像だと思う。




みたいな事考えながら見たけど、自分の周りに最大の理解者が一人でもいれば意外と救われるものなのかもと思ってしまった。自分の考えや生き方を受け入れてくれる人がいることによって自分自身を肯定できる時ってあるし、理解者の存在は大きい。
現代は間違いなく当時に比べたら冷たい目もなくなってきているし、今後も皆がもっと自分らしさをオープンにして堂々と胸張って生きていける世界になれば良いな。
最後まで引き込まれ続けたし、映るもの全てが洒落てた。
映像のヒントも色々得れたしもっとフランス映画観ようっと。

おすすめ仏映画教えてねん。
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