KATO

わたしはロランスのKATOのレビュー・感想・評価

わたしはロランス(2012年製作の映画)
3.0
やっぱり、私はグザヴィエ・ドランが苦手だなぁと思う。
映像は美しいのだけれど、彼の作る雰囲気に入り込むことができない。没入感を重視しているわけではないのだが、どうも上っ面をすべっていく感じが否めないのだ。

なかなか難しい問題だと思う。グザヴィエ・ドランはジェンダーについての作品が多く、考えさせられることが多々ある。今回はトランスジェンダーでレズビアンという、なかなかにハードな主人公だった。LGBTQについて叫ばれる昨今でも、これを理解して……というのは難しいと思う。存在を知っていても、受け入れることって簡単じゃないから。
そのことを打ち明けられたロランスの恋人、フレッドは努力していた。男だと思っていた恋人に女物のカツラをプレゼントするのは、どう考えても複雑だ。理解するのと納得するのは大きく違う。
世の中にはレストランのウエイトレスのような「分かっているのよ、でもね」という感じで見ている人が多い。個人的な探求心、興味……理解できないと嫌悪感をむき出しにして無視する奴らとどっちがマシなのだろう(嫌悪感をむき出しに暴力で物言わせようとするやつは論外)。
分からないから理解したふりして遠ざけるという人も多いのだろうな。フランス映画でそのことが描かれていて、進歩的とは?と考えてしまった。
結局、国とかはそこまで大きく関係がないのかも。知りたい、知ろうという個人の気持ちが一番大きいのではないだろうか。
結局、二人はロレンスの告白によって生まれた大きな転機を受け入れることができなかった。愛し合っていたことは本当なのに。
自分の血をわけた子どもよりも愛しているって、すごい告白だ。しかし、それをもってしてもロレンスとフレッドは互いを受け入れ続けることができなかった。
単純に、疲れたんだと思う。自分の与えたものが、自分の望んだ形で見えなくなると人間は勝手に失望して勝手に疲れてしまう。
なんて、自分勝手な。と思われるかもしれないけれど、二人はそんな風に少しずつ互いを削って、疲弊していったのではないだろうか。
充実していても、自分のなかで何かが大きく減っていると感じることはある。自由に愛せる、“偏見のない”世の中だったら……?夢みたいな話だし、そんな世界は未来永劫目にすることはできないかもしれない。
でも、そんな世界に生まれた二人だったら、もしかしたら幸せになれたかもしれない。
きっと、この世界に生まれ落ちた二人も幸せだったとは思うけれど。フレッドとロレンス、二人で愛し合ったという確証があるのだから。
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