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わたしはロランスのtsuraのレビュー・感想・評価

わたしはロランス(2012年製作の映画)
4.9
見終えて何故だか変な妄想に耽っていた。

あいみょんの「愛を伝えたいだとか」はあいみょんが本作に少しばかり触発されてはいないだろうか…

いや、あまりに身勝手な妄想失礼。

でもこの愛のぎこちなさとか共通項あったりして…

とかなんとか言ってみたりしてるけど、とりあえず鳥肌が直ぐに落ち着いてくれなかった。

だって、凄過ぎて俺が何処かにトリップしてたよ。(しすぎ)

全身全霊で作品と向き合ったのは今作以外にどれほどあったか。
私の躰など…もうどうにでもしてくれ、だよ。
心身から溢れんばかりのエモーショナルなエネルギーが私の脳内を掻き乱し狂わせてくれる。
人に伝えるという熱意や想いがこんなにも言葉に置き換えられずに苦悶してしまうのはいつぶりだろう。

言葉が何処を詮索してみても見つからないのは私がそこまでなのか、それともグザヴィエ・ドランとこの作品が例え見つけれた言葉すら凌駕する出来映えなのか。

どうか見て、体感すればきっと私の苦悩は解ってくれると思う。



作品中の愛は激流にあるけれどそもそも愛っていう感情、人間の根源にあるその本質を今作は2人(ロランスとフレッド)になぞらえて、奥深くまで探求している。
でもその途轍もなく困難で行き詰まりになりそうなその解へと辿る行程をけっして省かず丁寧さと大胆さを織り交ぜ且つセンセーショナルに見せる事で色んな可能性に富んだ作品に完成されている。

これが人の心を掴んで離さない、という事なのだろう。
最早私の心などロランスとフレッドの愛で隅の隅まで埋まってしまった。

ロランスとフレッドの物語はあるきっかけで繋がらなかった2人の"人生"が交差し紡がれていく。

以前鑑賞した「スパイダーマン:スパイダーバース」じゃないけれど人の出会いって実はマルチバースのみたいに様々な多次元的なところから何かのきっかけで空間に穴が空いて人と人とが繋がっていくみたいな…そんな時間の経過や因果をこの作品は3時間弱で余すところなく見せるのだ。
(時間の流れを描く丁寧さで言えば「6才のボクが、大人になるまで。」の方が近しいし、あの作品の様に丁寧に人の過程を追っている)

構成もまるで交響曲の様に決められた調、テンポがある様にこの作品もいくつかのチャプターに切り分けられてはいるが的確にその色の変わりを美しく見せている。

まるで第1楽章は稀代の名曲群に恥じぬメロディックな旋律を引用したの様に、乗っけから掴まれる。

ロランスは誕生日に積年の苦悩をフレッドに打ち明ける。それは「私はずっと女として生きたかった、もう男を纏う事が辛い」と。
当然、"男"として見ていたフレッドはショックを受ける。
しかし彼を心底愛していたし、だからこそ彼女はロランスの最大の理解者でありパートナーとして添い遂げようと決心するわけであるがどうにもこの2人、反発が凄い。(何故、フィーリングの合う2人がある辺りから衝突しがちになるのかは核心に触れるので言及しないが)

2人は土曜のランチでの"爆発"を機に離れていく。

ここでのウェイトレスに対する怒りの描写は圧巻である。(ここの描写一つでセクシャルマイノリティーの置かれた立場の明示に加え、怒りを吐露している)
この前半部で目立つのは徹底的なまでの他人からの「視線」でありそれはロランスとフレッドやそれ以上に世間が自分をどう見ているかを差別的な迄に映すようだ。
ここでの違和感はとにかくロランスの話なのに、"誰か"が遮っているような窮屈さを感じてしまうのが恐ろしい。

時を暫く経て、詩人として目を上げだしたロランスがパートナーがいながらも忘れられない感情を吐露する。
彼が紡ぐその詩でもう一度失った愛を叫び、自分の存在証明を示す。
実はその詩集にはフレッドのことを思って書いた詩があり…
いよいよこの辺りの描写から2人の歩んできた道とこの先どうなるかがどんどんとエモーショナルな展開されていく。
しかし後半はロランスという女性の激動がこれでもかと言わんばかり炸裂してくるわけだが、それはもうペドロ・アルモドバルもびっくりの愛の讃歌である。
言及したいクライマックスに向けて映画は更なる輝きを放つのだがもうこれ以上のネタバレはしたくないので笑


かつてキング牧師が、
「私たちの子どもが『白人専用』の標識によって彼らの個性をはぎ取られ、彼らの尊厳を奪っている」

その言葉には黒人の立場の苦しみや不平等が溢れている。

この作品は単に差別や偏見に対する闘いを描いているわけでもないが、明らかにロランスはその見えぬ刃に心身のキズを負っている。
でも彼女持つ強さ、弱さも含めた人間らしさや、その溢れ出る美しい言葉とより逞しくなる美しい姿でもって彼女としてのアイデンティティを昇華させていくことで、その後ろめたいものと上手く対峙し、単なるラブストーリー、ジェンダーに対する考え方を唱える作品とは一線を画す素晴らしい出来になっていた。

ロランスという人間の旨味が一つの作品を
ここまで作品の強さに結びつけているわけだが、そんな事を一貫してやってのけた作品はそれ程体験した覚えがない。

それにしてもグザヴィエ・ドランの演出というか仕掛けには恐れ入る。
今作はそのストーリーに合わせ、2人の感情の起伏にとびきりのインパクトを残してくれるのだが例えば、フレッドのもとに届いた詩集「彼女たち」の溢れる言葉に触れたフレッドの心情をミニマルな空間をバケツをひっくり返したような洪水で覆うという慟哭を表現したり、最初の別れに乗せるメロディは何を隠そうベートーベンのsymphony No.5→"運命"だなんていう突飛。

それに傷ついたロランスを助けるセクシャルマイノリティな人達が纏うファッションはジャン・ポール=ゴルチエやガリアーノ様な絢爛な色使い。
(彼等とのやり取りは随所で不思議な落ち着きを与えてくれる巧妙さ)

おまけにクレイグ・アームストロング「let's go out tonight」でどっぷり感動に浸漬してる我が身と心にビシビシ響きまくってもうヤバい。


大絶賛し過ぎで自分でも怖いが長尺をもろともしないその強さを感じてほしい。

愛を感じてほしい。

あなたのいる世界が少しでも愛が欠けていたらこの作品を手に取って欲しい。
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