No.3509
『明日、君がいない』を見たときと同じ閉塞感、圧迫感を感じ、
辛く、苦しくなった。
エロいのとかどうでもよくなった。
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この映画、女性器より男性器の描写のほうが圧倒的に多い。
しかも、
性行為をおこなうための「生殖器」としてだけでなく、
尿を排泄する「泌尿器」としても撮っていて、両方の機能として描いている。
これは恐らく意図的だろうと思う。
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しかも、ラストシーンでは、その男性器を、
「言葉や表情以外の、第3のコミュニケーションツール」としても描いていて、
その、性器というコミュニケーションツールを使って、とても幸せそうに「体で」会話している彼ら男女を見ると、
私はなんだか、安堵してしまうのである。
その安堵感の提示こそ、ラリー・クラークがやりたかったことなのではないのか。