Hashima

ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマンのHashimaのレビュー・感想・評価

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曜日ごとに決まった食事、毎週同じ時間の来客、つけたら必ず消す部屋の灯り。
音楽もセリフもほぼなく、大きすぎて不快な生活音だけが響きながらスクリーンに流れる日常と緊張感なくそれを眺める私。
映画を観る行為はなんて他人事なのだろうとぼんやりと思いながら、同じ時代に生まれて、同じような環境に身を置いていたら、私もきっと(少なくとも今よりは確実に)ルーティンな日々を送ることになり、主人公と同じように自分でも気が付かぬうちに閉塞感とか胸の詰まりを積み上げていくのだろう。

これはまだまだ終わらせられないぞと自分の意思で目を瞑ったのは初めての経験だったし、エンドロールの達成感はすさまじく、最後まで見切った自分を誇らしく思うほど。
途中嫌気がさすほどだったにも関わらず、自分の生活が繰り返しになっていることに気がついた時、きっとこの強烈な体験を思い出すだろう。突然捨ててしまったシーンは純にギョッとしたんだけど、蒸したポテトと小さなカップのコーヒーが飲みたくなる。

曜日ごとに決まった食事、毎週同じ時間の来客、つけたら必ず消す部屋の灯り。
音楽もセリフもほぼなく、大きすぎて不快な生活音だけが響きながらスクリーンに流れる日常と緊張感なくそれを眺める私。
映画を観る行為はなんて他人事なのだろうとぼんやりと思いながら、同じ時代に生まれて、同じような環境に身を置いていたら、私もきっと(少なくとも今よりは確実に)ルーティンな日々を送ることになり、主人公と同じように自分でも気が付かぬうちに閉塞感とか胸の詰まりを積み上げていくのだろう。

これはまだまだ終わらせられないぞと自分の意思で目を瞑ったのは初めての経験だったし、エンドロールの達成感はすさまじく、最後まで見切った自分を誇らしく思うほど。
途中嫌気がさすほどだったにも関わらず、自分の生活が繰り返しになっていることに気がついた時、きっとこの強烈な体験を思い出すだろう。突然捨ててしまったシーンは純にギョッとしたんだけど、蒸したポテトと小さなカップのコーヒーが飲みたくなる。

曜日ごとに決まった食事、毎週同じ時間の来客、つけたら必ず消す部屋の灯り。
音楽もセリフもほぼなく、大きすぎて不快な生活音だけが響きながらスクリーンに流れる日常と緊張感なくそれを眺める私。
映画を観る行為はなんて他人事なのだろうとぼんやりと思いながら、同じ時代に生まれて、同じような環境に身を置いていたら、私もきっと(少なくとも今よりは確実に)ルーティンな日々を送ることになり、主人公と同じように自分でも気が付かぬうちに閉塞感とか胸の詰まりを積み上げていくのだろう。

これはまだまだ終わらせられないぞと自分の意思で目を瞑ったのは初めての経験だったし、エンドロールの達成感はすさまじく、最後まで見切った自分を誇らしく思うほど。
途中嫌気がさすほどだったにも関わらず、自分の生活が繰り返しになっていることに気がついた時、きっとこの強烈な体験を思い出すだろう。突然捨ててしまったシーンは純にギョッとしたんだけど、蒸したポテトと小さなカップのコーヒーが飲みたくなる。
Hashima

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