映画にしか出来ないことがあると証明している。
繰り返す暗転はメトロノームのような役割。
1日目、彼女の表情には"撮られているという意識"が見える。なので、一日目は非常に嘘っぽいが"撮られているという意識"を持たない赤ちゃんによって映画自体のテンポが崩される。この映画内での赤ちゃんの持つ力がここで示される。
2日目、彼女の演技によりテンポが作られる。演出は、一日目より僅かに環境音を大きくするなど非常にさり気ない。ここから彼女の感情に関心が向く。3日目、再び登場する赤ちゃんによって、彼女が崩される。この映画における赤ちゃんの持つ力はご存知の通り。3日目の演出は非常にシンプルである。
途中自然光のシーンが数回入るのはリアリティの演出のため?絵画的な完璧な構図の域を出ない程度の日常。
映画を観ているという意識に一気に感情が追いついてくる感覚
演者と監督の意思疎通の過程がありありと映る。
配役が完璧。この母にしてこの子あり過ぎた。
時間そこそが最大の嘘であり真実である。
監督の映画への愛と観客への信頼を感じた