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小さいおうちのyufknrのネタバレレビュー・内容・結末

小さいおうち(2013年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

なんて胸が一杯になる映画だろうか。余韻が凄い。

以下はレビューというより、個人的な考察になります。

葬式のシーンから始まり、タキの自叙伝をきっかけに過去を振り返るように話が進んでいく。
時子と板倉の不倫に見せて、実はタキの心が揺れ動く。それをひた隠しにする話だった。そういう見方のオマージュを未来のタキと健史が演じている。過去の(自叙伝の中の)シーンは健史からの視点で進んでいく。そして僕はまんまとその視点で途中まで見る事になる。
そのカラクリに気付いたのは、時子の女学校時代の友人、睦子のシーン。男のような人だったという睦子と「好きになってはいけない人を好きになってしまったのね」という言葉に嗚咽するタキ。健史視点からだと時子と板倉の不倫の話であるようにリードされてしまい、時子への心配の涙に映ってしまう。その時に睦子は言う「皆が時子さんのことを好きになってしまうの」。これは女学校時代の話だ。つまり、タキが時子への想いを募らせていることに気付いているからこそ「この話は絶対に内緒よ」と念を押したのだろう。

これに気付いてからはその前の描写が気になって、連日鑑賞した。
タキは時子に一目惚れをした。あの描写は緊張ではなく、そこから始まるタキの恋物語。これがこの映画の肝なのだと。
それを踏まえて見直すと、細かな描写が沢山ある。黒木華凄い。
タキに縁談の話があった際も、時子が察して先に進めてしまうが、タキは「お嫁になんか行かなくていいんです。一生この部屋で暮らして、奥様や坊ちゃんのお世話をしたいと思っています。」と話す。
しかしその後、女中を置く余裕もなくなりタキは離れる事になる。「必ず、帰ってきます」の言葉を置いて。
そして空襲。連絡を取る手段がなく、やっとの思いで上京したタキは初めて「お庭の防空壕の中で抱き合った姿でお亡くなりになっていたということを」知る。
自叙伝はそこで終わる。

板倉に想いを募らせ逢瀬を重ねる時子の姿は、タキの立場からすると小さいおうちでの生活が壊れていく姿に見えていることだろう。
しかし、戦に向かう板倉を見ると、板倉はタキに想いを寄せていたのではないか?と思う。嵐がそれを狂わせた。そして、板倉との最後の夜がタキを初めて揺り動かし、手ぶれのシーンへ繋がる。
そこで手紙を渡さないことで短期的に日常を守った。しかしこんなことになるなら会わせてあげたら良かったんじゃないか。あの家を離れるんじゃなかった。その日常がなくなってしまってからが長すぎた。あの家こそが全てだった。
印象的な「私ね、長く生きすぎたの」という言葉。その涙は時子のこと、板倉のことも、延いては自分をも救ってあげられなかったことに対するものではないか。
そして、あの時に手紙を渡さなかったことは、実は自分が気付かずに妬いていたことの現れで、自叙伝を書くことでそれを自覚してしまったのではないか。
「こんなに生きてしまうなら、本当はあの時、私も一緒に…」そんな気持ちの裏返しだろうか。そんな懺悔と後悔を何十年も抱えたまま、流しの脇で小さくなって1人亡くなった。
小さな小さな罪、坊ちゃんも気付いていたのでしょう。そしてラスト。
「おばあちゃんのあの深い悲しみの原因は、一体何だったんだろう」という終わり方。これは健史視点の見方をしていると気付かない仕掛けの表れかと思う。

未来のタキの家に飾ってあった家の絵は、どこから来たのか?板倉と時子、タキの三角関係かと健史が言うシーンで「想像力が貧困だね」と言う。これでタキが板倉のことを想ってることは否定されているように見えたけど、終盤、タキと坊ちゃんは板倉と海へ一緒に行っていたことがわかる。その時に絵を受け取ったのかなと想像する。以前に海の描写がないことから考えると、これは戦後の話なのだろう。
タキと板倉は、当時はお互いが時子を守る人という信頼の関係性、そして時子が亡くなった後は思い出を共有し合う仲間のような存在だったのではないかと思うけど、時子の存在がそれより先に向かわせない、ある種皮肉のような話があったのではないかなと僕なりに解釈しました。

もう一回、観ようかな。
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