中央線ジャックとかアルタ前の乱闘とか意味のわからないスケールの2時間半の自主制作映像。たぶんこれは映画ではなくて、園子温自身も映画だと思って撮ってないんだと思う。
映画を成立させるために画面の中で作り出されるフィクションが全部「そのままやればいいじゃん」の迷惑ゲリラ撮影、器物破損で、なのに人の死とかは(当然だけど)「フィクションなんで!」みたいな開き直りがあって、本当に映画が好きじゃない(あるいは好きだったけど嫌いになった)人が撮る映像だと思った。衝動のきっかけは内省的であれど結果として出来たものは小林勇貴のそれに近い気持ち悪さがある。
90年代の閉塞感は肌ではわからないし意味のない感想だけど、これだけ無茶苦茶やって「アーティスト」と崇められてるだけで相当平和な時代なんじゃないかと思う。今の時代に必要な東京ガガガ的な行為って何なんだろうな
特典映像で園子温が東京ガガガの意図や理由を語ってて、なるほどと思う部分もあるけど、実際東京ガガガに参加している人たちはそんなことを1ミリも考えていない馬鹿の集まりにしか見えず、これもまた何とも微妙な気持ちになる映像だった。