自分の過去を乗り越えることも含め、
自分の中での出来事と、
他者が起こした行動に責任を感じることは、
別のこととして考えなければ
自分の身を「滅ぼす」のだと思った。
この映画を通して、
主人公(...もしかしたら私達も)は、過去や夢に「囚われている」のでは無く、
囚われていると「思いたい」のだと気付いた。
過去のせいにしたい、夢のせいにしたい。
今や未来はどうだっていい。
だって向き合うことは苦しいから。
そうやって過去や夢(幻想)に執着した主人公。
そこに原因を求めようとした主人公。
ノーラン作品の主人公は、
悩みを抱えながらも信念が通っているキャラクターが多かった中で、
真に病んでいる主人公というのが新鮮だった。
最後の駒の描写が何を意図しているのか。
観る側に委ねたのだと思うけど、
きっと彼は乗り越えられないだろうと思った。