ヒッポリタ

インサイド・ヘッドのヒッポリタのレビュー・感想・評価

インサイド・ヘッド(2015年製作の映画)
4.0

主人公の女の子はヨロコビを主体に生きようとつい頑張ってしまうタイプの子だ。
アメリカの十代の女の子には特に多いタイプなのかな?

女の子の中に居るヨロコビは喜びであるが、はじめは喜びこそが至上の感情と信じ、カナシミの色に主人公の心が染まりそうになると焦り、カナシミを締め出すというある種差別的な動きもする。
主人公の女の子は悲しみの存在を見て見ぬ振りし、押し込めるうちに、ヨロコビもカナシミも同時に失ってしまう。
そこから必死にコントロールセンターに戻ろうとするヨロコビたちの旅が始まる。

大きなショックの後で感情を失いつつある時にも、人間は無意識のうちに喜びの感情を回復させようと、均衡を保とうと努力しているものなのだなと考えさせられた。

そしてクライマックス、深層意識の谷底に落ちてしまったヨロコビと、主人公の心の友達ビンボンが、歌を燃料に夢のロケットを飛ばそうと何度も挑戦するシーンで涙が止まらなくなり、ビンボンが身を投げ出しヨロコビを救うと、思わず号泣してしまった。
ビンボンはそれまでの道中も立ち入り禁止の部屋に入ったりするなど、女の子の成長と共に自分自身が消えゆくべき存在であるとどこかで認識していたかのようにも思われる。
アナと雪の女王のオラフに見られた自己犠牲の精神が、さらに昇華されより高度に描かれていたように感じた。

そして、お母さんの感情の描き方が印象的だった。必死にヨロコビを主体にしようとする主人公と違い、お母さんはカナシミが主体になりコントロールセンターの座に座って居る。
主人公の中のカナシミはいつも輪の外に追いやられ自信なさげなのに対して、お母さんのカナシミは理知的で成熟している。お母さんはカナシミが主体にあるからこそ、逆境において笑顔でいる大切さを知っている。様々な人生経験があったからこそだろう。
しかし、「笑顔でいられる?」と言われることは、主人公にとってはいつも笑顔でいなくては、というある種押さえつけにもなってしまい…
難しいものですね。

何にせよ、ヨロコビ一色の世界ではなくカナシミもイカリも混然となり、あらゆる色で満たされてこそ、はじめて人間の成長があり得るのだと思った。