碧翠

寫眞館の碧翠のレビュー・感想・評価

寫眞館(2013年製作の映画)
4.2
「一葉の幸せを」

シューベルトのピアノソナタと共に丘の上の寫眞館と客の娘の明治、大正から昭和
激動の時代の歩みを見る無声映画

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⚠️ネタバレと自分なりの考察⤵︎ ︎⤵︎ ︎⤵︎ ︎
かなり長文だし、あくまで予想なので鵜呑みにしないでね




























便宜上 登場人物を
父、母、館長、娘と仮称す

〜〜明治時代〜〜

丘の上の寫眞館、周りは原っぱ

母は明治に洋装だった事から上流階級の方だと思われる
旦那さんも軍人というしっかりした身分の方であるし、当時なら同じ階級同士のお見合いが主流であろう
恥じらい顔を上げない母に館長が渡した花は百合、花言葉は「純潔」「無垢」
奥ゆかしいお母さんにピッタリ

父は軍人
結婚写真の軍服は明治中期の濃紺の軍服
娘が生まれた時の帽子を見るに1本ラインが入っているので尉官なのが伺える
いわゆる将校さんである
初子が生まれた若い頃に将校だったとすればやはりそれなりの身分、華族の出かもしれない
娘が3歳くらいの頃には明治末期〜大正中期のカーキの軍服に変わっている(三八式?三九式?)

その後のシーンで寫眞館の後ろに東京駅の様な建物が描かれている(が、東京駅開業は大正3年なので建築途中?)
仁丹の看板も見受けられる

路面電車の車内で号外の報知新聞を読む男性
一面は日韓合併発表さ(れ)る
日付は明治43年8月20日
日韓合併は同年8月29日

父の姿が見えなくなる
娘はお人形さんを与えられても笑わない

〜〜大正時代〜〜

丘の上の寫眞館
周りに沢山の店が出来る
カフェーに眼鏡屋

娘、女学生になる
矢絣柄の着物に袴にブーツで自転車を漕いでいる ハイカラさんである
館長が百合の花を渡すが娘は笑わない

父、戦死する
シベリア出兵(大正7年1918年〜大正11年 1922年)に派兵か?
雪降る中、肩を落とす母と娘

関東大震災(大正12年 1923年)
寫眞館半壊

壊れた寫眞館に女教師となった娘が生徒達を連れ訪れる
館長、腕を上げてマジックを披露
子供達は笑うが娘は笑わず

〜〜昭和初期〜〜

娘、眼鏡の紳士とデート
背景は映画館通り(浅草六区映画街?
太平記、乱闘の巷、(忠)次御用篇、第一回 鞍馬天狗 嵐寛寿郎の看板
放映年からして
昭和2年 1927年〜昭和3年 1928年

娘、眼鏡の紳士と結婚
息子が生まれ、幼稚園に入り、中学に入る
旦那の姿が消える

太平洋戦争勃発
忍び寄る軍靴の音
ビルには航空機増産、総突撃!の文字
軍隊の行進に九五式軽戦車?

息子、学徒出陣す(昭和19年 1944年)
学生帽とタスキに武運長久の文字
学徒出陣はベテラン兵が戦死し戦況が著しく不利になった昭和18年 1943年から

東京大空襲
息子、戦死す
焼け野原にポツンと残る寫眞館
娘に遺影を渡す館長

〜〜昭和中期〜〜

デパートのバルーンに東京オリンピック記念(昭和36年 1964年)
デパートの横を走る新幹線(同年開通)
新幹線の高架横に丘の上の寫眞館

年老いた娘、本日休業の寫眞館に買い物かごを下げ入る
年老いた館長、風邪をひいたようだ
甲斐甲斐しく看病をする娘

寫眞館の中にはたくさんの笑顔の人々の寫眞
その中に1枚、息子の写真(裏には昭和十九年)

娘、自宅シーンへ
家族達の遺影 息子、旦那、父、母
遺影を眺めながら初めて笑う娘

再び寫眞館
棚には子供達を笑わせる山のような玩具

2人で寫眞を撮ろうと提案する館長
その寫眞は笑顔の2人

流れるエンドロール

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遺影を眺めながら笑う娘は戦争で何もかも失った疲れや寂しさからくる自虐的なものだったのだろうか

館長の家族の描写はなく独り身だったと思われる
娘の旦那は息子が幼い頃から登場せず離縁したか死別したか

かなり年の差がある館長と娘が引っ付いたかどうかはわからないし知らなくても良い
身寄りの無い者同士、戦後の混乱期を助け合いながら生きてきた事は容易に想像できる
それだけで充分

最後の2人の寫眞の笑顔は「一葉の幸せ」
一葉とは平らで薄いもの、そういう幸せもある

そして平らで薄いものは寫眞
今まで撮ってきた笑顔の人々の事も指すのだろう

その一葉…平らで薄い幸せを全て灰燼に帰すのが戦争なのである
ある意味において反戦を訴えているのかもしれない

たった16分で朝の連続ドラマ小説を丸々見た気分になりました
碧翠

碧翠