このレビューはネタバレを含みます
USJの年間パスポートの顔認証は、一卵性の双子を判別できないらしい。双子の姉の年パスで入場した人の話を知っている。確かにそんな環境に身を置いていると、自分の存在に不安を覚えるかもしれない。
この物語では、時計がキーアイテムとして登場する。
序盤で、中国では時計を人に贈ることはタブーだと語られる。中国語で「時計を贈る」と「死者を送る」が同じ発音になるからだ。
それを知らない日本人の良は、贈り物として時計を選ぶ。私はこれを、新しい価値観で物語を切り開いていく演出だと思ったんだ。でも違っていた。これは言葉の通り、死を予感させる暗示となった。
本作は、結局生き残ったのがルオランとルーメイのどちらだったのかを明瞭にしていない。私も最後まで悩み、惑わされ、そして「彼女はルーメイだ」という結論に至った。
鍵となるのは、ルオランがルーメイのふりをしてティエルンから服をプレゼントされる場面だ。
ルオランの死後、ルーメイはティエルンに「それは俺が買った服だ」と言われ、心当たりがない素振りを見せる。あの時2人は入れ替わっていたのだから、本物のルーメイが知らないのは当然だ。
ではなぜルーメイがその服を持っていたか。2人は偶然同じものを買ってしまう癖があって、この服もたまたま被っていたんだ。それは、母親がルオランの遺品を整理した時に同じ服を見つけたという台詞からも読み取れる。
他にも、“彼女”が目覚めた時、良ではなくティエルンの手を握ったことや、プールで泳げなかったことなど、ルーメイである証拠はかなり揃っている。
それでもティエルンは信じられないし、良も確信が持てない。そして私たち視聴者も、最後の最後まで答えがわからない。結局わからないまま終わった人もいるかもしれない。
それらは全て、アイデンティティの混乱を招くための演出だ。
今回はわかりやすく双子の物語にしていたけど、この映画を通して、「あなたがあなたであることを証明するものは何か」を問われた気がした。
アニメ『楽しいムーミン一家』の第1話を思い出した。魔法で醜い姿に変えられたムーミンが、必死に友達や家族に「僕はムーミンだよ!」と訴えかけるんだけど、誰もそれを信じてくれない。
パパなんか、「お前は私の息子ではない!」って断言する。
でも、ママだけが「あなたは間違いなく私のムーミンだわ」と言って彼を抱きしめる。すると魔法が解けて、ムーミンは元の姿に戻れる。
これっておとぎ話によくあるテーマだけど、現実問題かなり難しいと思う。人が家族や友人を認識している要素って、外見と性格と、共に過ごした思い出くらいだ。じゃあ、アイデンティティって何? 私って何?