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真夜中の五分前のspoornerizmのレビュー・感想・評価

真夜中の五分前(2014年製作の映画)
3.6
昨日観て、今日も考えてしまう面白い物語だった。
監督や役者のインタビュー記事が、どうしても読んでみたくなる映画だった。

わたしは、
“物理的“に“実存在“している生き残った彼女は、ルオランだと思っている。初回鑑賞から今回まで一貫して。

ただ、
今回解釈が深まった気がする。深まったというより、前に見た時よりも違う角度で見ただけかも知れないし、こちらの人生が進んだ分、理解できる部分が増えたのかもしれない。どっちが生き残った彼女かという事ではなくて、人は“相手の何を愛するのか“、“そもそも「人を愛するって何か」、って事を考えてみて“、って映画、物語なんじゃない?ってやっとわかってきた気がした。

監督は、どこかのインタビュー記事で“3人目の人格“が出てきたという言い方をしている。物語の最後で、良(リョウ)に腕時計を置いて去った彼女は、身体はルオランで、でも、ルーメイを愛おしむルオラン、ルーメイの分まで生きなきゃというルオラン、そんな思いが高じて、いずれでもない、もしくは、二人を合わせた新しい女性が始まるということなのかな、と。

籐の揺り椅子で揺られて、修理は良に任せている店主の言葉に、色々ヒントがあるんだね。ヒントという言い方は合ってないかな。ポルトガルのなんとかいう詩人の言葉、「人は他人を愛さない。他人のなかにある自分を愛するだけだ」だったかな。

ティエンルンと別れた“自称“ルーメイ。
良は、どう考えていたのかな? ルーメイを守りたいと思っているのか、いやルオランを思う気持ちの代替、延長として考えていないか、それは愛情なのか、自分にとって好きになるってなんだったのか、と、、言葉にならない感情と、苦悩が伝わってくるような気がした。

物語のほとんどは、ルオラン、良に焦点をあててるわけだけど、同じく苦悩するティエンルンにも、もう少し焦点をあてると物語として面白かったのではないかな。
良と、ティエンルンが、それぞれ、ルオラン、ルーメイの「何を愛した」のか?というポイントが多分違うから、そこをもっと知りたかったかなと。

主演(だよね?)のリー・シウシウさん、今更ながら、演技が上手いなぁつくづく思った。メイクや髪型をそれほど変えていないのに、中身が違う人にちゃんと見える。ルーメイの華やかさ、同じ顔をしているのに控えめに存在しながらもどこか強く揺るぎないものを持っているようなルオラン。
事故の後の、ルーメイなのかルオランなのか、自意識が混濁してるのか、自分自身を“ルーメイ“と呼んでみたり。自らの言動に戸惑ってる感じとか、観客としてすっかり惑わされて、すごいなぁと思った。

ところで、
どうして三浦春馬さんの出ている映画、物語はこうも、「2回目になって面白さがわかってくる」ものが多いのだろう。

1回目はピンと来ない。ただストーリーがわかった後に再び見返すと、その繊細な演技が、演じてる人物の心の内をちゃんと語っていて、見てて飽きないなってなるんだよなぁ。
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