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卍 まんじのfujiのレビュー・感想・評価

卍 まんじ(1964年製作の映画)
4.5
谷崎潤一郎の文章には連綿と紡がれていく錦糸のような艶めかしさがある(と個人的に思っている)が、そこに増村保造のリズム感・テンポ感が加わることで、さっぱり気が付かぬうちに卍固めの愛憎の渦に絡めとられてしまっていた……というのは観客にも登場人物自身にも共通する感覚だと思う。

谷崎は関西弁は女性を描くのに最も適した言葉だと語っているが、本人も増村監督も役者たちも関東の生まれで、親の転勤とはいえ10年近く阪神間に住んでいた私の感覚では谷崎のそれは「関西弁のような未知の言語」である。
とはいえその未知の言語により作品全体は幻惑のヴェールをまとい、その中で若尾文子演じる光子がひときわ輝くのもまた事実であろう。この物語の中で光子は人ではなく観音様、幽玄の世界の象徴なのだ。鏡や蚊帳を駆使した女体の演出には、見てはならないものを覗き見る背徳感を覚える。

“男の人が女の姿見て綺麗思うのん当たり前や、女で女を惑わすこと出来る思うと、自分がそないまで綺麗のんかいなあいう気イして、嬉してたまらん。(『卍』本文より)”
はじめは綺麗な芸術品であった。そして愛しい恋人となった。菩薩のようで悪魔のようで、殺してやりたいほど美しい女。同じ女である私が見ても、光子の蠱惑的な《女》っぷりは美しくて憎らしくて目が離せない。
ああ、長くて短くて濃密な90分だった。
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