昇り龍天覚寺

ゴーン・ガールの昇り龍天覚寺のレビュー・感想・評価

ゴーン・ガール(2014年製作の映画)
4.2
突然の妻の失踪。どんどん明らかになってくる夫の本性。
「夫が殺していない」と分かりきった前半だったので、前半は正直退屈だったかも。
正直、ニックのクソ夫ぶりも”あるある”でしかなく、さっさと離婚すればいいじゃん、わざわざそれの復讐のために「宝探しゲーム」なんてシャラくさいことやってるから駄目なんだろ、と思った。

しかし中盤、妻の種明かしが入ってから状況は一変。ベンアフのクソ夫ぶりは一部が真実で、大半がエイミーによる捏造だと分かる。
ここからある意味凡庸なクソ夫だったニック(若い女と不倫、働かずにゲーム、など)が可哀想に見えるくらいに、異様でサイコパスな妻エイミーの本性が見えてくる。
圧倒的なエイミーの知性に太刀打ちできず、追い詰められていくニック。ここら辺がもう本当に胸糞で、どうなるかハラハラしつつフラストレーションが凄かった。気づけば映画に夢中になっていた。

エイミーが帰還し、仕方なく、囲まれた報道陣の前でいい夫婦を演じてエンド〜なのかと思ったらなぜかまだ尺があって、最後にもう一度どんでん返しがくるか??大逆転くるか??と期待していたのに尺のわりに結局いい夫婦、そしていい両親、を演じることにしたニックというなんとも悲惨な終わり方。思わず見終わったあとそんな〜!!と声が出そうになった。

しかし、エイミーが全然理解できない。(まあサイコパスだから理解できなくて当然なんだけど。)
ニックと同じく、過去の歴代の元彼が彼女によってひどい目にあっているように、彼女は何度も男に「失望」して、それの「お仕置き」をしてきたわけだけど、じゃあもう男と付き合うのやーめっぴ、とはならないのだろうか?
そして彼女は毎回最初は男に見合う「理想の女」であろうとし、それが面白くもあり、心の底では屈辱的に感じているわけで、じゃあ何がしたいの?と思ってしまう。うーん。
「理想の彼女」として男たちに支配されるように、彼女もまた男を「理想」で支配したいってことなんだろうか。
ニックと「理想の夫婦」を演じ続けることで、彼女は何を得るんだろう?

とはいえ、歴代の男の中で彼女の「本性」に気付き、それでも関係を続ける、ということを選んだのはニックだけなので(脅迫に従った形だけど)、そこである意味お互いがお互いの「本性」を知った上で「演技をする」というフェアな関係性に意味を見出したのか?わからない。

終盤なんかはもう、ニックは自殺以外逃げる方法がないんじゃないか?最後拳銃で自分の頭をぶちかましてエイミーに一泡吹かせられないか??なんて思ってしまった。自殺しても結局エイミーのストーリーの一部になることは分かりきってるにせよ、生きた状態で逃げるのはもう不可能。

ここまで書いて思ったのが、エイミーは両親に「アメイジングエイミー」という理想像を”捏造”され続け、そしてその”理想像”を演じ続けたわけで、心の底では屈辱的に思いつつも、それしか人と繋がる手段を知らなかったのかも。だからこそ男に対しても”理想”を演じ、その一方で相手を”捏造”する。
サイコパスに理由を求めすぎるのはよくないとはいえ、人との関係の築き方が希薄ゆえに彼女はこうなってしまったのかもなーなんて思ったりもした。

よくできた映画だったが、とにかく胸糞。もう見たくない。