このレビューはネタバレを含みます
原作『LAヴァイス』を読んでしばらく経ってからの再鑑賞。
多くのシーンを削りながらも全体の要約としてはこれ以上なく分かりやすいものになっていたことがよくわかった。
陰謀論めいた考えに片足突っ込んでいるのを理解した上でも、本作が1970年を舞台にした物語でありながら現代にも通じる権力者たちの搾取と支配欲を描いていると言えると思う。
利益を得ながら人間性を失っていく彼らのあり方は、資本主義というシステムに内在する瑕疵を示している。
そしてそれに立ち向か(わなくてはいけなくなってしま)う主人公ドックが最後に選ぶ利他的選択やビッグフッドとのやりとりは本当に感動的だが、彼自身が過去の象徴であるシャスタから離れられず終わる映画独自の締めかたはどこか不安が付き纏っている。
なんなら過去の回想以外でシャスタが現れる全ての場面には不穏な雰囲気が漂っており、戻ってきた彼女を乱暴に抱くシーンの居心地の悪さは普段はラリっていながらも真摯に他者と向き合うドックのあり方とあまりに正反対だ。
また、原作の一登場人物だった立場からナレーションでありドックの理性的存在に変わったソルティレージュも最後は不在である。
コーイは家族の元に戻り「まともな」アメリカ人としての人生とその象徴であるクレジットカードを手にした。
ビッグフットも嫌悪するヒッピー代表のドックに謝罪し折り合いをつけて進む変化を受け入れた。
だが理性なく過去の美しい思い出に囚われているドックは1人取り残されているのではないか。
本作のラストシーンは原作のどこか楽観的に見えるそれと違い、懐古主義への疑問視に軸があるように感じられた。
だからこそ原作では一番最初に書かれている「舗装の敷石の下はビーチ!」というメッセージがラストに来るのではないか。
でもこの映画で一番美しいと思えたシーンは、ウィジャ盤で示された麻薬の店を探しに雨の中を走るドックとシャスタというノスタルジー全開の場面でありそれは本当にずるいほどだった。
また選曲とシーンの繋がりが強いシーンがいくつかあり、一見コミカルな「もっとパンケイク!」のシーンで流れる『上を向いて歩こう』は相棒を失ったビッグフットの表に見せない心中を察せられる見事な使い方だと気づいた。
1人で感傷的な探偵映画を見たくなったらこれ。