青雨

フランシス・ハの青雨のレビュー・感想・評価

フランシス・ハ(2012年製作の映画)
4.0
主演俳優だった三船敏郎が演技について熱弁するその姿を、黒澤明が嬉しそうにジッと見つめていたというエピソードをたいへん面白く思っており、グレタ・ガーウィグの魅力について思うときにも、このことをよく思い出す。

本作の監督は、『イカとクジラ』(2005年)や『ヤング・アダルト・ニューヨーク』(2014年)のノア・バームバックであり、いずれの作品においても、人がそれぞれに持つ屈折や恥部のようなものを、どこにも行き場のない屈折や恥部それ自身として撮っているように感じられ、いわゆる拗(こじ)らせた27歳の女性の、そうした出来事や心情がここにも綴られている。

けれど、ニューヨークの街並みを回転しながら弾けてみせるフランシス(グレタ・ガーウィグ)は、そうした作品性を抜け出していく。デヴィッド・ボウイの『モダン・ラヴ』に乗せて走り踊る彼女は、黒澤の見つめた三船も、こんなふうだったろうかと思わせるところがある。

そして、グレタ・ガーウィグはフランシスを演じながら、どこか引いた視線で彼女自身や作品を見つめてもいる。引いた視線で見つめながらも、そのなかで胸いっぱいに呼吸することもできる。僕にとっての本作の魅力は、この1点にかかっている。

作品の時系列としては、後に『レディ・バード』(2017年)を彼女は監督するものの、『レディ・バード』を先に観た僕にとって、フランシスはその後のクリスティン"レディ・バード"のようにも映った。いずれの作品においても描かれる、ニューヨーク(都会)とサクラメント(故郷)という舞台設定の同一性からではなく、物語るときの呼吸や語り口のようなものから、強くそう感じたことを覚えている。

そして、共同脚本を務め主演したグレタ・ガーウィグが、なぜフランシスという27歳の女性を、このように描こうとしたのかに興味を持った。また、フランシスの前日譚のようにも感じられる、クリスティン"レディ・バード"をなぜ撮ろうとしたのか。そうしたいっさいが、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019年)に結実したように思えたこともある。

映画のなかで、「小説を褒めるときに率直さを挙げるのは、他に褒める点がないから」という予防線を張ってはいるものの、そんな予防線などあっという間に突破してしまうくらいに、グレタ・ガーウィグの率直さを強く感じた。

あの時の光を胸いっぱいに吸い込むことを、グレタ・ガーウィグはノスタルジーの文脈としてではなく、過去や現在や未来という時制を超えていく何かとして、表現し得ているように思えた。

勘違いだったのかもしれない。パートナーを間違えたのかもしれない。そのように間違いと思う僕が、根本的に間違えているのかもしれない。けれど、この作品に見る彼女の躍動感は、間違いなく僕の目には映っていた。

と書いてみて、まるで振られた男の言い草であることに苦笑しながら。
青雨

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