Jeffrey

ニンフォマニアック Vol.1のJeffreyのレビュー・感想・評価

ニンフォマニアック Vol.1(2013年製作の映画)
3.8
「ニンフォマニアック」

冒頭、雪降る冬の時期。路地に倒れてる女、通り掛かりの男、宅で介抱、過去を赤裸々に話す彼女、性的欲求、少女期の話、暴力、SM、2人の黒人、鞭、銃、釣り、夫人、鏡、3+5の忌まわしい数字。今、色情症の世界へ…本作はラース・フォン・トリアーが原案、監督、脚本を務めた性的ドラマの二部構成の"鬱三部作"の最終作である。この度久々にBDにて再鑑賞したがブットんでる映画で、彼の作品の中でもわりかし好みな映画である。観客目線虫の大胆さがある作風で、色情症を扱う監督の頭のおかしさが逆に安心する(笑)。トリアーはこうでなくては…とファンの1人としては思うのである。しかもキャストが豪華すぎる。

本作は世界を挑発し続けるトリアー監督の最も過激でセンセーショナルな型破りな女性のセクシャリティを探求した長編であり、前代未聞の衝撃作と当時は言われていたが、改めて鑑賞するとやはりこの監督は一作ごとに物議を醸すような作風ばかりをとっているなと改めて思う。彼のフィルモグラフィ全てが一貫性を持ち、赤裸々に全てを出し切っている。この作品に至っては、女性の性の遍歴を大胆かつ赤裸々に描写し(セックスシーン)、サプライズに満ちた破壊力を観客に与える。

本作のタイトルは色情狂と言う意味で、8章構成の2部作で全長約4時間と言うフォーマットから作り出され、当時連続公開されている。vol.1とvol.2に分けられ、思春期から20代にかけての冒険を前半に持っていき、後半ではその後の堕落と苦悶の日々を映しだす展開描写になる。本作は女性主人公が偶然通り掛かったインテリ紳士の自宅で介抱されるシーンから始まり彼女が数奇な身の上を語り始めると言う形式で始まる。ピンク映画の巨匠若松孝二、アダルトビデオの帝王と言われた村西とおるも真っ青な映画史上稀に見る問題作だと私個人は思う。ここまで過激だと、ポルノ映画なのかアート映画なのか…の論戦も必ず起きてしまうのが世の常である。しかしながら、あらゆる点で観客の心を強烈に掴むのがトリアー監督の摩訶不思議な能力であり魔力である。

日々私が思うのは、ホラー映画と言うのは見る人の想像力をかき立ててくれるツールだなと感じている。そういった中で、監督の前作2作品を振り返ってみると全くもって娯楽性がなかった。「アンチクライスト」然り「メランコリア」もそうである。ただ単に映像が美しく、中盤からは退屈なだけで観客を意識したようなストーリーテラーではなかった。しかしながらこの作品は、きちっとした娯楽性豊かに仕上がっている。いわゆる回想形式を採用しているが、波乱に満ちた半生を語る語り手の女性と聞き手の男性が時折話す哲学から宗教、芸術、政治、はたまた心理学まで語るのはトリアーの色を残したままであり、クラシック音楽や数字、登山などのー部の層にしか分からないような語りも入り込んでくる。そういった中で、映像的にはファンタジー的な演出があり、そこに青春、ロマンス、喜劇の3拍子を叩き込んだマニアックな映画で、我々観客は知的好奇心を言葉通り掻き立てられていくのである。この点はホラー映画と一緒である。

さて、当時この作品を宣伝した広告などを見たときのキャスト欄を見て驚愕したことを覚えている。なんとも豪華なキャスト(このような破廉恥極まる低俗な作品に出演するような面々ではないからだ)。まず、「アンチクライスト」でカンヌを沸かせた女優シャルロット・ゲンズブールを主演にし、クリスチャン・スレーター、ユマ・サーマン、ウィリアム・デフォー、シャイア・ラブーフ、ジェイミー・ベル、ステラン・スカルスガルド、ウド・キア等…ハリウッドの著名人がこぞって出演している。やはりトリアーの作品がどれほどアンチをくらったとしても、この監督の作品には何が何でも出たいと言う欲望を当時感じたものだ。ちなみに先ほど低俗な作品と言ったが、決して低俗の意味をこの映画に使っていると言うわけではない。今回はゲンズブール演じる少女時代の時の役者の新人のステーシー・マーティンも素晴らしい芝居をしていた。リメイク版の「サスペリア」でも魅力的だったミア・ゴスも鮮烈な映画デビューを飾っていた新人である。さて、物語はプロローグから始まり、全8章そしてエピローグで終わる。


〜プロローグ〜

雪が舞う薄暗い路地で、1人の女性が仰向けの状態で倒れている。顔は痣だらけで血まみれだ。そこへ通り掛かった初老のインテリ独身紳士のセリグマンは、救急車も警察も特に呼ばないでと話す彼女を自宅で介抱してやることにする。好奇心をそそられた彼に事情を説明するよう促されたその女性の名前はジョーと言う。彼女は理解する気があるのなら、何もかも話してあげるわと応じ、数奇な身の上を語り始めた。

チャプター1 釣魚大全

ジョーは2歳の時から自分の性器を意識するようになった。冷淡な母とは折り合いが悪かったが、よく木や葉っぱの話をしてくれる医師の父が大好きだった。ロストバージンは15歳の時である。バイク好きの若者は、彼女の体に挿入して乱暴に3回突き、後ろから5回突いてきた。3+5。このおぞましい数字は、初体験の猛烈な痛みとともに彼女の脳裏に刻まれた。そして2年後、彼女は幼なじみの女の子Bと挑発的な服装で列車に乗り、どちらが多くの男を釣れるかと言う淫らなゲームに応じる。商品のチョコレート菓子を独り占めにしたのはジョーの方だった。


チャプター2 ジェローム

ワイルドで奔放な高校時代を過ごしたジョーは、卒業後、印刷会社のアシスタントに応募した。偶然にもその会社の社長代理は、彼女がかつて処女を与えたJことジェロームだった。再び関係を迫ってくるジェロームをいちどは拒絶した彼女だったが、次第に心変わりし、彼の愛しい思いを手紙に綴る。しかし彼はいつの間にか秘書のリズと結婚し、外国へ旅立っていた。

チャプター3 H夫人

ジェロームへの失恋の反動で、彼女は以前よりも大勢の男と肉体関係を交わすようになった。その1人、中年のH氏は妻子を捨ててジョーのアパートメントに転がり込んでくるが、彼の妻であるH夫人も3人の息子を引き連れて乗り込んでくる。酷い言葉をH夫人に延々と言葉で攻めなじられたジョーは、セックス依存症の自分が他人の人生を壊した事実を思い知らされ、孤独を噛み締めることになった。

チャプター4 せん妄

最愛の父が心を病んで入院した。もう先行き長くなさそうな父は、付き添いにやってきたジョーに世界で最も美しいと言うトネリコの木の話をする。恐ろしい妄想にのたうち回り、ジョー、ジョーと何度も絶叫した父は、まもなく息絶えてしまう。この時彼女は喪失感のみならず、やるせない恥辱感を覚えていた。体のアソコがひどく濡れる…。

チャプター5 リトル・オルガン・スクール

日に日にセックスに溺れるようになったジョーは、きちんとスケジュールを立てた上で毎晩7、8人の男との情事を重ねていた。そんなある日、公園を散歩中、妻のリズと喧嘩別れしたらしいジェロームと再会を果たす。かつて愛した男との久々のセックス。しかし性器が麻痺した彼女は、全く歓びを感じることができなかった。

チャプター6 東方教会と西方教会(サイレント・ダック)

ジェロームとの子を身ごもったジョーは、心の平穏を求めて彼との共同生活をスタートさせ、赤ん坊にマルセルと名付けた。性感を失い続けている不安ゆえに、過激に激しいセックスを求めてくる彼女をもてあましたジェロームは、他の男との浮気を容認する。その提案を受け入れ、場末のホテルで見知らぬ2人のアフリカ系男性に身を委ねようとする彼女だったが、その試みは失敗に終わった。彼女の冒険はさらに続く…。非合法のセックスセラピーを行っているサディスト、Kに縄で拘束され、乗馬用の鞭で何度も尻を打たれた。それによって未知の興奮に目覚めるが、ジェロームに愛想をつかされてマルセルと共に立ち去られたジョーは、大きな代償を支払う羽目になった。

チャプター7 鏡

数年後、荒れんだ被逆行為の身体的ダメージが悪化したジョーは、勤務先の上司からセックス依存症の人々が集う会に参加するよう命じられる。そこで大事なのはセックスの誘因を排除し、危険性を減らすことをとアドバイスされた彼女は、自宅の鏡や窓を塞ぎ、苦悶の日々を送る。やがてセックス依存症の会に偽善を感じた彼女は、自信満々私は色情狂よ。そういう自分が好きと言い放つちその場を後にした。

チャプター8 銃

世間から見捨てられた気分になった彼女は、倒錯的な性体験の豊富さを見込まれ、Lと言う怪しげな男のもとで借金取り立ての闇ビジネスを始める。ある後ろめたい性癖を隠し持つ責務者の本性を暴いた彼女は、数年後で目覚ましい実績を評価したLから後継者のことを考えろ。君には右腕が必要だと告げられる。Lの務めに従い、悲惨な家庭環境で育った少女Pに素性を隠して近づくジョー。やがて成人になったPを伴って新たな責務者のもとに向かうが、それは皮肉にも以前よりずっと老け込んだジェロームの家だった。ジェロームはPと恋に落ちて自暴自棄になったジョーは拳銃を握り締めて彼のもとに向かう。そこで繰り返される3+5の悲劇。こうして身も心も破滅したジョーは、ボロ雑巾のように路地で気を失ったのである…。

エピローグ

いつしか雪もやみ、太陽が昇り始めた。長い身の上話を終えた彼女は、あの銃弾が発射されなくてよかった。人殺しになるところだったわ、とセリグマンに呟き、疲れ果ててベッドに横たわる。しかしつかの間の安息の眠りにつこうとする彼女の悪夢は、まだ終わっていなかった…と簡単に説明するとこんな感じで、性に目覚め、性に溺れ、愛を忘れたある女の物語である。これはトリアー監督の作品の中でも「奇跡の海」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に続いて好きな映画である。



いゃ〜、久々に見返したけどやはりあの"前から3回突き、後から5回突く"と言う表現方法と数字のカウントを文字化して映像に入れているふざけた演出は最高である。まさにトリアー監督の醍醐味の挑発的な一瞬であった。また主演2人の会話劇はかなり役者たちが大変だっただろうなと思う。このセリフ量を全て暗記しているとするならあっぱれである。また、2人の男女が閉ざされた空間で愛やセックスについて論議を交わさ場面は変な緊迫感がある。昔見たベルイマン作品を彷仏とさせる場面でもあるかもしれない。相変わらずの残酷な描写やセックスシーンの過激さ、性についてのあらゆる視点が生きている。4時間にわたって浮き上がってくる生きることへの愛しさを監督自身の内なる告白として映像で体験させてくれたかのような映画であった。

あの冒頭静かに雪降る路地を捉えて、いきなり映像と合ってないRammsteinのFühre Michの音楽を流して観客を脅かす演出は悪たらしい。なんて野郎だ…(笑)それにしてもシャイア・ラブーフがポコ〇〇を挿入するシーンの画面いっぱいに拡大される大きな数字がなんとも印象的で、少女時代の時の主人公の女性の列車に乗るときに着る洋服が今すぐヤッて服って自分から言うところは爆笑する。そこでステッペンウルフのBorn To Be Wildが流れる始末、んで、列車で男たちを漁ってトイレはどこですかって聞いて、男が案内するって言う途端に全く関係ない釣りの描写が写し出されて男を魚に見立てて今魚が餌に食いついて釣竿に引っかかったと言わんばかりの屈辱的な演出も凄い。そんで列車の一等車で、リッチな男のアソコをしゃぶるシーンを手持ちカメラで上下に交代ずつ捉える破廉恥な場面も凄い。

そんでチャプター2のジェロームで、カトリックのBが私のアソコは最高と繰り返し宗教的に言うところは狂ってる。なんともおぞましい場面である。そしてチャプター4ではモノクロ映像に変わる。んでRammsteinのFühre Michがまた流れて、Vol 2へと行く…。てか監督は「アンチクライスト」のカンヌ国際映画祭のインタビュアーからなぜこういった作品を作ったのかなどの説明を求めると言うふざけたインタビューに対して、これは本意ではないと言っていたが、私から見ても目論見通り物議を前面に醸すような予告から、はたまた映像からしても本人自体が本当にその気がなくても、十中八九周りはそういう風に仕立てているだろう。マーケティングの旨さマドンナ、スパイクリーらと同じレベルであると感じるのは私だけだろうか…。
Jeffrey

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