パグレ

ゼロの未来のパグレのレビュー・感想・評価

ゼロの未来(2013年製作の映画)
3.7
主人公コーエンは、プログラマーとしては極めて凄腕だけど人とのコミュニケーションや変化する環境への適応が苦手、ある種の自閉症ないしサヴァン症候群のような描かれ方をしています

近未来・・・あらゆるテクノロジーが発達した世界で、雰囲気はどことなくサイバーパンク風のディストピア
そんな社会において、人々はせっせと回し車を走るネズミのように与えられた仕事を(文字通り謎のペダルを漕ぎながら)こなしている
何かを成し遂げても「次にやらなきゃいけないこと」がすぐさま押し寄せてくる、人間の発揮できるスペックに対するテクノロジーの臨界点、ってやつだろうか?
人間はもはや代替可能な道具であり、そこに「私」は無くて「我々」という帰属意識だけがある

コーエンの場合はそれが顕著で、自分の生きる意味や孤独といったものに心の中を覆いつくされていて、何に対しても価値を感じられず、喜びとも無縁の人生を送っていた
天才プログラマーと言えど、与えられた仕事を解析完了したらすぐさま「次の解析を1時間後にアップしてください」その繰り返しだ
時間が流れて世界は変化しているのだから「ゼロであることの証明」なんて原理的にできるはずがない、「限りなくゼロに近い(≒無限小)」ってのが精一杯だよ
天才プログラマーのコーエンは社会にとって「少し高性能な歯車」でしかないのだ

コーエンのみならず、われわれ人間は「より大きな上位の"何か"」を意識し始めると、自分がちっぽけで無力な存在だという認識を抱いてしまう
その上位の存在とは、自分はいつか死ぬという逃れられない事実であったり、徹底した管理を強いてくる社会そのものであったり、また神などの宗教的な存在にも当てはまる
「人生の選択肢はとても多く、時間はとても少ない」というフレーズ、そして宇宙や虚無をイメージさせる「穴」の演出や、監視カメラの位置などなど、今思えばかなりキレッキレのメタファーが作中に散りばめられていたんだな~と感心した

で、恐らく本作のメインテーマであろう肝心の「生きる意味」についてなんだけど
結局は「信じるか/信じないか」という、ある種の信仰レベルの話になってくる
例えば数学でも「三角形の内角の和は180である」といったような公理は、それ以上証明する余地がなくて、結局はそう信じるしかないという信仰の話になるわけだ
この作品においては、ゼロであることの証明というのがつまり「公理が正しいことを証明しろ」という無理難題に当てはまっていて、それに対して、時間が流れない(夕日がずっと沈まない)バーチャルな南国のビーチが前述した「公理」を象徴しているように思えた

何かを解析すれば他の部分で矛盾が生じて崩壊してしまうゼロの定理
何かを信じれば他の何かを疑うことになるし、何かを選べば他の何かを手放すことになる(ベインスリーかわいかった...)

ベインスリーやボブとの出会いを経て、コーエンの世界は広がっていく
孤独と無に支配されていたコーエンの心は、穴に飲み込まれてしまったけれど
最後にはあのビーチに行きついて、そこではしっかりと夕日が沈んでいた
かなり抽象的なシーンだけど「コーエンは生きる意味を何となく察した」のかな、と感じました

見ている途中は駄作に思えたけど振り返ってみれば良作・・・という珍しい体験ができました
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