筋肉的キリスト教徒

神は死んだのかの筋肉的キリスト教徒のレビュー・感想・評価

神は死んだのか(2014年製作の映画)
3.0
『存在しないものを憎めますか』

うーん、プロパガンダ映画だなと。
いちおう信仰に身を置いている立場だけど、最後の場面とかね…やりすぎちゃうかって思う。(まあ神はトンデモないことを平然とするんですが そこに痺れはしません笑)

日本だと馴染みのない事だけど、アメリカでは「科学と宗教の対立」がえらい問題になっているんだよね、そういう意味で宗教を憎む人間が生まれても仕方ないと考えたり。

で内容はというと、こいつら権威に訴えすぎやろと思ったり。「〇〇は〜と言った。」を延々と繰り返す不毛なコピペ論争…いや聖書そのものがコピペされまくってるからなあとか。(ここは実存主義的に神が存在しようがしまいがどうということはない、として鞘を納めてはいかが?主人公はパウル・ティリッヒぶん投げてきそうだけど)

作中ホーキングがよく引用されるのだが、ラディソン教授とホーキングの共通点は「神を否定しなければならなかった」ことだろう。 
母との死別・自らの障害、といった不幸と向き合うには「神の計画」は不十分だった。
これを踏まえて僕が思うのは、無神論者ほど神を意識している人種はいないんじゃないだろうか。神の存在は、彼等にとって世界の是非を問う重要事項になってしまった。「神に裏切られた」という憎悪が無神論(反有神論?)へ傾倒させたように思う。

なんだろうな、一度「神」という概念を捉えてしまうと、反証不可能なジレンマに陥ってしまうというか。神を肯定するか、不可知論的な立場を取らざるを得ないというか。それは福音であり、祈りであり、呪いとも言えるのだろう。

ある宗教圏(特にキリスト)に生きる人々はそういう意味で可哀想だなと思ってしまう。生を受けた瞬間から「神」が入り込んでくる。
もう少し自由意志の余地があっても良いんじゃないか、と考えたり。
ラッセルを肯定するつもりはないけど、そういう社会に違和感を覚えた点は理解できる。

あーだめだ、やっぱり僕は不可知論的で多元主義的に物事を解釈する不信心な人間です
そんな僕でも愛してくれるイエスはまじパネぇ❗❗