鹿江光

グリーン・インフェルノの鹿江光のレビュー・感想・評価

グリーン・インフェルノ(2013年製作の映画)
3.0
≪60点≫:丁寧に、いただきます。
イーライ・ロスが「文化としての食人」を丁寧に描いたためか、それとも自分の感覚が麻痺しているのか……この作品からは、おおよそ恐怖というものが感じ取れない。まるで民俗学を学んでいるかのような感覚。現実に彼らのような部族は、確かに存在する。
善意のボランティアで森にいる部族たちを守ろうとした若者たちが、意思伝達虚しく食べられていくお話。辿り着いたところに得体の知れない存在が跋扈している。閉鎖的なホラーにはお決まりの設定だ。この作品から恐怖を炙り出すとすれば、若者たちが部族と出会った瞬間だけであろう。自らの命の行方を完全に見失う瞬間は、確かに恐ろしい。ただ、食人が始まってしまえば、恐怖などは消し飛んでしまう。
食人シーンもガッツガツの汚いものではなく、まずは長老らしき権威者が、眼や舌、鮮血などの特異物を喰らい、肉や皮膚などの残り物を下の者たちで分け合う。狩りは男が行い、調理は女が行う。性差による役割分担もはっきりしている。その調理方法も実に丁寧で、塩もみや燻製にするなど、実に文化に根差した食の形態が細やかに描かれている。それ故か、観客も不思議とグロさを感じない。異国の食文化に触れる教育番組のような目線で、普通であれば凄惨なシーンも、難なく観ることができてしまう。
他にも、おまけのような残虐シーンがいくつかあるが、それはもうなんというかスプラッター映画だから付け足してみたよ、みたいな蛇足で、在ってないようなものだ。
最後の展開も、ただ人喰ってグロくして終わりではなく、しっかりとメッセージ性を残している。
誰かが言っていた。「真の野蛮人とは何か」――、この作品に対して恐怖しか感じないのだとしたら、それは既に、無意識に文明人が絶対であると決め付けている証拠となる。己の知的さを守るために、命が宿る森やそれに根差す文化を問答無用で排除していく――、その精神が果たして「野蛮でない」と言えるだろうか。
野蛮でないのなら、みんなで一緒に肉を食べよう。燻製にして、日持ちするお肉を毎日の肴にしよう。
鹿江光

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