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鬼の詩のJeffreyのレビュー・感想・評価

鬼の詩(1975年製作の映画)
3.0
「鬼の詩」


本作は村野鐵太郎が一九七五年にATGで監督した傑作で、この度DVDにて数年ぶりに鑑賞したが素晴らしい。原作は作家の藤本義一の直木賞受賞作品で、明治末期の上方落語家、桂馬喬の芸に対する執念を描いたもの。馬喬のモデルは桂米喬とされていて、脚本も原作者が執筆している。本作の冒頭は静止画に台詞を載せていくスチル写真の積み重ねで始まる独特な演出方法で写し出される。この映画は非常に大阪臭がして、興行的には確実にヒットするような作風でないため、アートシアターで作られたのが非常にわかるー本だ。人間の持っている生命への讃歌だったり、大阪の庶民が、日本の封健社会の政治体制の中で、その反対とも言える市民社会を作ってきたこと、そこからくる生の肯定、それに対する執着と言うものが、この映画では、いわば虚実皮膜の中に活写されている。


そもそも上方落語の黄金時代は、明治二十年代末から三十年代初めにかけてだと言われており、明治初年、大立物の初代桂文枝がなくなって後、その門弟たちの間で争いが耐えなかったが、その文枝の高弟の月亭文都、二代目桂文団治などが三代目笑福亭松鶴と提携して、明治二十六年浪花三友派と言う一派を起し、文枝直系の桂派と対抗、互いに客寄せのしのぎを削ったのは有名な話だ。落語家にとって、このような分裂はあるいは不幸なことだったかもしれないが、客の側から言えば面白い事は確かである。話芸の本道を行くと言う渋い生き方の桂派。派手で陽気で面白くするために踊りなどをも取り入れる三友派だったりと。本作は風狂を物語っているのではなくて、その風狂以外の芸人の修羅の物語であり、その馬喬を支える大阪庶民の、自分でも持ちたい所の修羅を代弁している物語と言って良いのではないだろうか。

この映画なんとなく東京をライバル意識というか敵視してるような感じがしていて、大阪の風物詩や言葉が非常に丁寧に写し出されている。それと馬の糞を食ったりするグロテスクなシーンやショッキングな場面も結構あって、人にとっては拒否反応起こすかもしれない。しかしながらありふれたエンターテイメントにうんざりしている私にとっては、想定外の事柄が多くあり非常に良かった。決して楽しい映画ではないため人にオススメすることを躊躇してしまうが、この映画の中に入っている複数のエピソードが品性下劣で慇懃無礼にも褒められない。しかし、日本的な文化映画であることに変わりは無い。この作品は少なからず製作予算内でドラマを作っているため、低学の制作費で出発点として始まっている。主人公の男、その妻、その男が芸を盗もうとする先輩の芸人、の三人にドラマを絞っている。まさに村野監督の重点主義が垣間見れる瞬間である。

この映画の見所と言うのはやはり主人公の男が馬糞を食って、煙菅を顔の痘痕に吊り下げる場面だろう。それとプロローグの松鶴と藤本の方芸能についての対談が良かった。最後に村野監督はジャン・ルワールの傑作「大いなる幻影」を見て非常に感銘を受けたと言っている。
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