マチュー・アマルリック監督最新作。
モノクロからカラーやフィルムからディジタル、サイレントからトーキー、2Dから3Dなど映画は技術が発展していくにつれ、その技術にあった映画表現を生み出しているが、最近、アスペクトの変化によって、キャラクターの心情を表現するという映画表現も当たり前のように使われるようになったな、という気がする。
勿論、昔から『ベンハー』などの史劇作品でワイドスクリーンにすることでダイナミックさを表現するなどのアスペクトの変化による映画表現は行われてきたが、最近はむしろ逆。
スクリーンに映る映像を少なくすることであえてキャラクターの孤独さや葛藤を強調している。
ウェスアンダーソンの『グランドブダペストホテル』は時代ごとにあえてアスペクトを変えているし、グザヴィエドランの『マミー』はInstagramみたいにスクエアで撮影している。本作もそう。
マチューのどうしようもない孤独さが狭いスクリーンの中で溢れそうなくらい強調されている。
なんだか映画のフレームが漫画のコマのようになってきたんじゃないかなとこの映画を観て思った。