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狼が羊に恋をするときのchibakoのレビュー・感想・評価

狼が羊に恋をするとき(2012年製作の映画)
3.9
下北沢トリウッドで。
2012年の台湾映画で原題は「南方小羊牧場」。台北駅の南側にある補習班(予備校)が集まるエリア、南陽街を舞台にしたロマンティックコメディ。
監督は侯季然(ホー・チーラン)。本作以降は長編劇映画を撮っていないようだが、彼が後年手がけた台湾の独立書店を巡るドキュメンタリー、「書店裡的影像詩」は日本でも話題になった(今も日本語字幕付きでYouTubeで観られる)。
ちなみに原題の「南方小羊牧場(nán fāng xiǎo yáng mù chǎng)」とは南陽街(nán yáng jiē)の「南陽」を「南」「羊」と読み替え、予備校に通う学生たちを小羊に見立ててつけられた、この街を指す俗称ということらしい。

同棲していた彼女がある日突然「わたし予備校に行く」と書き置きを残して去り、彼女を探しに南陽街にたどり着いた阿東。彼は予備校街ならではのコピー店で住み込みで働きだす。一方、予備校でアシスタントとして働く小羊は、イラストレーターになりたいと思っている。彼女は生徒たちに配る問題用紙の隅にいつも羊のイラストを描いているのだが、その問題用紙をコピーして納品する際に、阿東と小羊の交流が始まる、というストーリー。

ストップモーションやアニメを挿入されるポップな文体で、ともすればこういうスタイルは空滑りして気恥ずかしくなることも多く、2009年公開の「(500)日のサマー」からの影響も明らかに感じられはするが、単なるみせかけや模倣ではなく、こうした仕掛けがきっちり物語にからみつつ丁寧に撮られていて、12年の時を経ても古びた感じもしなかった。
なによりいわゆるロマコメであるだけでなく、予備校街という特徴のある場所にまつわる、都市の映画であることがいい。
大学受験という目標のために多くの若者が通い、長い時間を過ごし、受験が終われば去っていく南陽街。
街中のそこかしこに置き去りにされた記憶のかけらがこびりついている。
去って行った学生たちがロッカーに残して行った物を、阿東が持ち主を探して届けていくエピソードや、「炒飯男」という看板を掲げた推しも推されぬイケメン炒飯屋の過去、迷子犬、深夜の朝刊売り、乾麵屋台をやったりポケベル修理をしたりする謎の牧師など、ちょっとした物語の積み重ねがフィクションの南陽街を立体的に造形する。
阿東と小羊の関係性を描くことに加え、これだけのことを85分という上映時間で手際よく簡潔にまとめ上げていて、そういう意味でもかなりの良作だった。
なにより阿東を演じた柯震東、小羊の簡嫚書、そして郭書瑤など、当時のフレッシュなキャスト陣はこの時のこの瞬間にしかない魅力に溢れていて素晴らしかった。
柯震東(クー・チェンドン)は前年の「あの頃、君を追いかけた」で鮮烈なデビューを果たし、2作目として本作に出演した。
その後中国に撮影で滞在中、ジャッキー・チェンの息子と共に大麻を使用し逮捕され、しばらく大きな仕事はなかったが、2021年公開で、日本でも昨年からロングラン上映している「赤い糸 輪廻のひみつ(原題:月老)」で久しぶりに第一線に復帰した。
簡嫚書(ジエン・マンシュウ)は本作が主演デビューで、現在もドラマや映画で活躍中。日本でも観られる2019年のテレビドラマ、「R.I.P. 霊異街11号」の監察医の役がとてもよい。
郭書瑤(グオ・シューヤオ)は当初いわゆるセクシーアイドル的な立ち位置で有名になったが、機転の利く演技に唸ることの多い俳優である。

台北という都市の映画ということでは、2010年の「台北の朝、僕は恋をする(原題・一頁台北)」もロマコメとの組み合わせという意味でもつながりを感じた。

本作は日本では映画祭や特集上映で公開されたのみでこれまで一般公開はされなかったのだが、タイミングとして柯震東の逮捕が妨げになったのかもしれない。とても優れた作品なので、そうだとすれば本当に残念だ。

昨年9月にわたしはこの南陽街のホステルに滞在した。
現在はこのころと比べ補習班の数もかなり減り、往時の勢いはない様子だった(どうやらオンライン授業が定着したことが一因らしい)。
そういうふうに、製作から時間が経ち、予備校街としての南陽街も過去のものとなっていく。

上映時に見逃して以来、ずっと気になっていた作品だったので、一週間の期間限定から本公開に至ったことが嬉しい。
多くの人に観てほしい作品です。
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